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変わりなく主に仕える教会

世の中は目まぐるしく変化します。その変化に取り残されないよう、あふれる情報に身を投じてその流れに乗ろうとする人もいれば、変わらない生き方があるはずだとあふれる情報から距離を置く人もいるでしょう。では教会はどうでしょう?世界の思想、宗教、快楽、流行のるつぼ、目まぐるしく変化する情報にあふれていた町コリント。そこに誕生したコリント教会は右に左に揺れていました。ということで、4月23日(日)の礼拝は、コリント人への第一の手紙第7章24節〜40節から、「変わりなく主に仕える教会」と題してメッセージでした。

差し迫った状況の中でも

コリント教会には父の妻と同棲する人がいるかと思えば、結婚するな結婚しているなら解消すべきだという人もいました。放縦な生活と原理主義的な態度の間で揺れ動いていました。パウロは結婚の原則を示し、神様に召されたときの状態と神様からの賜物を大切にしなさいと記しました。さらにここで結婚と家庭生活について言及します。「現在迫っている危機」を考えると、結婚を控えた方がよい、禁止するわけではないが…と。「現在迫っている危機」とは、再臨の前兆としてのクリスチャンへの迫害を指しているようです。キリストは復活昇天後、再びこの世界にやって来る(再臨)と弟子たちに告げておられました。その前兆として世界中で戦争や災害や迫害があるとも。パウロの時代もそれと似た状況がありました。パウロは自分たちが生きている間にキリストの再臨があるかも知れないと思っていました。当時の結婚式は1週間にも及ぶ盛大なもの。家族と言えば大家族。営むのが大変です。そして再臨があれば結婚関係や家族関係は、リアルな神の家族としての発展的解消を見ます。ですからパウロは現状にとどまった方が楽ではないか、と考えたのです。

世に心くばるのではなく

ではパウロは結婚にも家庭生活にも否定的だったのか?独身の男女や未婚の女性は、「主のこと」に心をくばって、何とか主を喜ばせようとするが、既婚者は「この世のこと」に心をくばって伴侶を喜ばせようとする、とパウロ。やっぱりパウロは否定的?よく見ると既婚者は妻や夫に心をくばるのではなく、「この世のこと」に心くばって相手を喜ばせようとしている。「世間体を気にする」という言葉がありますが、目まぐるしく変化する世間がもてはやす愛し方、喜ばせ方、育児や家庭生活のトレンドで、伴侶や家族を愛したつもり、喜ばせたつもりになっていないか?この世の有様は変わります。しかし主は変わりません。その主が結婚を定め、伴侶や家族を与えられる。主からの賜物でお互いは生かされている。だからその主に向いて聞いて従うとき、心をくばるとき、伴侶や家族の愛し方、喜ばせ方、営み方もわかるのではないでしょうか。

主に喜んでいただくために

「わたしがこう言うのは、あなたがたの利益になると思うからであって、あなたがたを束縛するものではない。そうではなく、正しい生活を送って、余念なく主に奉仕させたいからである」とパウロ。日本にも再臨を熱烈待望するリバイバルの時期がありました。第一次世界大戦と関東大震災の後、再び戦争の足音が聞こえる時代。人々は教会や山に集まりひたすら祈りました。しかし再臨はなく、教会は分裂していきました。しかしあの時代の教会を責めることはできません。二千年間、何度も同じ過ちを繰り返しているから。「主のこと」に心をくばるとは、伴侶や家族の関係を脇に置いて、伝道集会や祈祷会の奉仕に励むことを言うのではありません。伝道集会も祈祷会も大事ですが、主から与えられた伴侶や家族の関係こそ、まず大切にすべきではないでしょうか。それこそが正しい生活であり、主への余念のない奉仕なのではないでしょうか。

当時自由人だったクリスチャンと奴隷だったクリスチャンが、垣根を越えて麗しい関係になり、そのことがやがて社会を変えていきました。それは主にある伴侶や家族の関係にも言えることです。パウロの時代よりも主の再臨が近いことは確か。世のことをわきまえつつ、しかし世のことに思いわずらわされず、どんな中にあっても、主からいただく恵みの賜物を、身近な関係から喜び楽しみ分かち合い、その交わりの輪を広げてまいりましょう。その営みが主の喜ばれる、再臨への備えとなるのです。

4月30日(日)の礼拝は、コリント人への第一の手紙第8章1節〜13節から、「愛の配慮で建てる教会」と題してメッセージです。

イースター召天者記念礼拝と墓前礼拝(納骨式)

4月16日(日)はイースター召天者記念礼拝と墓前礼拝(納骨式)がありました。

毎月第三日曜日は賛美礼拝。ちょうどこの日がそうでしたので、いろんな楽器を持ちだして賛美のひととき。

オルガン特別演奏。J・シベリウス「フィンランディア」。

飛び入り参加もOKな聖歌隊賛美。新聖歌127番「墓の中に」。

思い出を語っていただきました。

ドロシー・エレン・ホーア先生、福田八重先生をはじめ、天に召された信仰の先輩方を思いつつ。

昼食後、自動車で移動して教会の納骨堂へ。

ここでも思い出を語っていただきました。

墓前礼拝の中で納骨式。

この霊園にはたくさんのキリスト教会納骨堂があり、この日は他の教会の方々もたくさん来られていて、墓前礼拝を行っておられました。

 

永遠のいのちを得る喜び

私たちは「永遠の」という言葉を使ってやみません。永遠の友情、誓い、愛、いのち…。どれも印象の良い言葉が続きます。しかし実際はどうでしょう。長続きしないことがありはしないでしょうか。しかしそれでも私たちが「永遠の」という言葉を使ってやまないのは、永遠に変わらない友情や誓いや愛やいのちへの強い欲求があるからではないでしょうか。それらのものが必ずあるはずだと思うからではないでしょうか。そういう欲求に応えてくれるものがただ一つあります。それがイエス・キリスト。ということで、4月16日(日)のイースター召天者記念礼拝は、「永遠の」と続く言葉の中から「いのち」に絞って、ヨハネの第一の手紙第1章1節〜4節、第5章10節〜13節から、「永遠のいのちを得る喜び」と題してメッセージでした。

永遠のいのちはイエス・キリスト

ヨハネはリアルなキリストと毎日、何年にもわたって寝食を共にした弟子です。ヨハネはキリストを「いのちの言」「このいのち」「この永遠のいのち」と記します。そしてキリストは神様からの私たちへのプレゼントで、このプレゼントを受け取れば永遠のいのちを持つのです、と語りかけます。ヨハネがキリストを一言であらわすなら「永遠のいのち」。キリストが私たちの罪の身代わりに十字架にかかって死んだにもかかわらず、死を打ち破って、新しい復活のからだをもってよみがえり、天に帰って行かれた、その有様を目の当たりにした実感でした。またキリストに出会った多くの人々が変えられていく姿を目の当たりにした実感でした。

永遠のいのちに出会った人々

ある人は全身麻痺の中風でした。友人たちに担架にのせられて二階からキリストの前につりおろされました。キリストはそれを見て言われます。「あなたの罪はゆるされた」「起きよ。床を取り上げて家に帰れ」。その人は癒やされました。ある人は目が見えず道で物乞いをしていました。キリストが通りがかると、人々の制止を振り切って「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫び続け、見えるようになることを求めます。するとキリストは言われます。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。ある時は子供たちがキリストに駆け寄ってきました。弟子がそれを制止しようとするとキリストは憤り「幼な子をわたしの所に来るままにしておきなさい。神の国はこのような者の国である」と言われ、子供たちを祝福されます。ある人は金持ちだけれども皆に嫌われていた取税人でした。キリストが町に来られますがその人は背が低く人垣で見えません。そこで先回りして木に登って待ち構えました。キリストがそこを通られると「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。あなたの家に泊まることにしているから」と言われ、彼は急いで喜んでキリストを迎え入れました。人々はキリストを「罪人の家にはいって客となった」と非難しますが、キリストは「きょう、この家に救いがきた」と言われます。

永遠のいのちで生きる私たち

これらの人々に共通して言えることは、キリストにまっすぐ向かい、キリストに(を)求めたということです。そして求めたものも与えられたけれども、それ以上のもの、罪の赦しや神の国や救いの宣言をいただいたということです。それらのものを言い換えるなら「永遠のいのち」。キリストは、キリストに(を)求め、キリストを受け入れる者に、最上のものである永遠のいのちを与えてやまないのです。永遠のいのちそのものであるキリストにとって、それ以下はあり得ないのです。私は死の間際にキリストに出会い救われ天に召されていった方々を見てきました。本人にも看取る家族にも平安と慰めと喜びがありました。その様を見て思ったのは「最期に求めるもの、価値あるもの、その人の意識と存在を死の向こうまで確かにするものは『永遠のいのち』以外にない」ということでした。この最上のものを後回しにする手はありません。地上の生活からこの永遠のいのちを喜び楽しみたい。永遠のいのちが地上の生活を導くのであって、地上の生活が永遠のいのちを導き出すのではないから。何はなくとも永遠のいのち。永遠のいのちあっての私たち。永遠のいのちであるキリストに、復活を経て新天新地の生活に至るまで導かれてまいりましょう。

4月23日(日)の礼拝は、コリント人への第一の手紙第7章24節〜40節から、「変わりなく主に仕える教会」と題してメッセージです。

入園式がありました

4月11日(火)は天授ヶ岡幼稚園の入園式がありました。

外は雨でしたが、

中では、楽しい手遊び歌やアンパンマンが登場し、在園生の明るく元気な歌が響き、最初は泣いていた新入園生もにっこり笑顔になっていました。私も皆さんの祝福をお祈りし、祝辞を述べさせていただきました。

十字架が奏でる賛美

20数年前不思議な夢を見ました。荒野に立っていました。どこからか、どんな楽器も出すことのできない音色にのせて歌が聞こえてきます。聞こえてくる方へ歩いて行くと電車の駅にたどり着きました。構内に音色が充満しキラキラ輝いて見えました。歌は「この道はキリストの道、苦しみの道」という言葉を繰り返しています。キリストの十字架を思わせる言葉です。停まっている電車には白い衣を着ている人が数人座っていて、私が乗り込むと電車は走り出しました。そこで目が覚めます。しかししばらくの間その音色と歌は目に見え耳に聞こえていました。それ以来、キリストの十字架が、しかも苦しみの十字架が、どうしてあんなに美しい賛美となっていたのか、考えるようになりました。ということで、4月9日(日)棕櫚の主日礼拝は、マルコによる福音書第15章と詩篇第22篇から、「十字架が奏でる賛美」と題してメッセージでした。

十字架の出来事

マルコによる福音書第15章はキリストの十字架の出来事を記します。前の晩、キリストはゲツセマネの園で捕らえられ、不当な裁判にかけられ、群衆は「十字架につけよ」と叫びます。ローマ兵たちもキリストから上着をはぎ取りくじで分け、むち打ち、茨の冠をかぶせ、つばきし、棒で叩き、十字架に手足を釘で打ち抜きました。群衆は罵詈雑言を浴びせます。人間のあらゆる怒り、憎しみ、罪を浴びに浴びたキリストの姿がそこにありました。しかし場面は急変します。昼、暗闇が襲います。人々の罵詈雑言はなりをひそめキリストの声がこだまします。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。そして死。すると十字架の前にたたずむ人がひとり。ローマの百卒長です。「まことに、この人は神の子であった」。キリストに罪はなく、私たちの罪のために死んで下さったという信仰の告白です。さらに場面は変わります。暗闇が過ぎ去るとそこにはキリストに従ってきた大勢の弟子たちの姿が。彼らこそ、キリストの十字架の死と復活という私たちの救いを宣べ伝える者たちでした。

十字架の賛美

次に詩篇第22篇です。キリストから遡ること千年。ダビデの賛美。「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか」で始まり、罵詈雑言を浴びせる人々や服をくじで分ける人々の姿が出てきます。そして十字架を体験した人しか表現できないような苦しみを記します。しかし悲惨な描写が極限に達すると一転、賛美に変わる。そして「子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、主がなされたその救いを後に生れる民にのべ伝えるでしょう」で終わります。十字架の出来事とピタッと重なる。詩篇第22篇はダビデを通して記された神の言葉です。そしてキリストも「神の言」といわれるお方です。実は神の言葉が実現すること、神の言葉が成し遂げられることが神様への賛美なのです。キリストは詩篇第22篇1節を力を振り絞って叫ばれました。そして十字架のみわざを成し遂げられました。しかし十字架につけた人々はまさか自分たちが詩篇第22篇を演じているとは思わなかったでしょう。神様も群衆を操ってキリストを十字架につけさせたのではありません。群衆は群衆で心底怒りと憎しみをもってキリストを十字架につけた。しかし神様は人々がそうすることを見越して、そんな人々をも救いうる救いを計画されていたのです。

十字架の出来事は賛美を奏でていた。しかしそれは神様が心地よく聞いておられたということではありません。詩篇第22篇の苦しみは神様ご自身の苦しみでもある。十字架の出来事は父と御子が共に紡ぎ出された賛美なのです。そして十字架の出来事は今やこの上もない救いの賛美となっているのです。それと同じように、神様の言葉に聞いて従う私たちの人生も神様への賛美となるのです(歌う賛美はほんの一部分)。順風満帆な時もあればそうでない時もある。山あり谷あり。苦しみの道もある。しかしそれは「キリストの道」。人生が奏でる賛美は、やがて主とまみえる日、この上もない歓喜となって、栄光と共に私たちを包むのです。

4月16日(日)はイースター召天者記念礼拝。ヨハネの第一の手紙第1章1節〜4節、第5章10節〜13節から、「永遠の命を得る喜び」と題してメッセージです。

神の召しを大切にする教会

「革命」と「改革」。違いは何でしょうか。革命は「支配者から被支配者が力尽くで権力を奪い取ること」「従来の政治・経済構造、制度や価値観を急激な力で根本的に覆すこと」。改革は「従来の政治・経済構造などの社会基盤は維持しつつ、よりよいあり方を模索し、徐々に改めていくこと」。革命は急激で劇的に、改革は緩やかに穏やかに、と言ったところ。以前コリント教会が原理主義的禁欲と自由を乱用する放縦の間で揺れていたことに触れましたが、さらに急激で劇的な変化を主張する人々があったようです。ということで、4月2日(日)の礼拝は、コリント人への第一の手紙第7章17節〜24節から、「神の召しを大切にする教会」と題して、メッセージでした。

外側の召しを大切にする

当時、ユダヤ人は男子であれば小さい時に割礼を受けました。異邦人がユダヤ教に改宗する場合も男子であれば割礼を受けました。外側の変化です。それと同じように、コリント教会の中に、神様に出会い召しに応じ、キリストを信じバプテスマを受けた時、外側の変化が必要だと思ったようです。ユダヤ教からの改宗なら割礼のあとを消すべきだ、または異邦人のキリスト教への改宗なら割礼を受けるべきだ、と言うようなことです。しかしパウロは割礼のあとを消そうとするな、割礼がないなら受けようとするな、召された時のままの状態でいい、と記します。現代に生きる私たちもクリスチャンになったからと言って、私の外見や生活環境や境遇が一夜にして急激に劇的に変わることはありません。また同じ外見や生活環境や境遇の人しか救われないのでもありません。神様はどんな人も、どんな環境や境遇でも召され救われます。それはあらゆる所に福音が届いて、その人が、そこが、キリスト化されていくためなのです。じゃあ結局革命なのか?

内側の召しを大切にする

当時は奴隷制社会でした。コリント教会にも自由人と奴隷のクリスチャンがいたようです。パウロは奴隷制打倒のためにクリスチャンに決起を呼びかけたか?召された時の状態に、奴隷は奴隷として自由人は自由人としてとどまっていなさい、しかし自由になれるなら自由になりなさい、奴隷は主にあって自由であり自由人は主の奴隷、あなたがたは代価を払って買いとられた、だから人の奴隷になるな、と記します。何を言いたいねんパウロ!奴隷も自由人もキリストを信じるなら神の子となります。真の自由人。しかし当時使われていた「買いとる」という意味では奴隷。しかしそれは神様への隷属を意味するものではなく、自由へ解放するための「買いとる」です。これが内側の変化。クリスチャンになった奴隷は真心込めて主人に仕え、クリスチャンになった主人は真心込めて奴隷を大切にしました。その麗しい関係がやがて社会制度を変えていくことになります。現代に生きる私たちの社会に奴隷制度はありません。しかし支配と隷属の関係が夫婦やパートナーや家族の中に、先生や生徒、上司や部下、仲間同士の中にありはしないか?外側をいくら変えても内側はなかなか変わらない。外側の変化も大切ですが、より大切なのは内側からの変化。内側の変化あっての外側の変化なのです。

原則に立つことを大切にする

パウロはここで原則を示します。神様の前にとどまり続け、神様の言葉に聞いて従い、神様が与えて下さる賜物(今ある私、今ある関係)を喜び楽しんで生活すること(歯を食いしばって我慢するとなると要注意。原則から外れていきます。神様は新たに召されることもある。とにかく柔らかくリラックスして原則に立つ)です。この原則に立つなら、私がどんな状態であろうとどんな環境や境遇にあろうと、生き方はそんなに変わりません。振り子が振れるように、ぶれることはありません。しかしこの原則に立つなら、内側から外側へ、私がじわ〜っと変えられ、周りもじわ〜っと変わっていくのです。

4月9日(日)は棕櫚の主日(パームサンデー)礼拝。マルコによる福音書第15章と詩篇第22篇から、「十字架が奏でる賛美」と題してメッセージです。

 


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