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復活の勝利の姿

コリント人への第一の手紙のクライマックスは復活。信じられない人には最大の障壁、信じられる人には最大の恵み。パウロはキリストの復活の事実、復活への信仰、復活に向かっての生活と記してきました。そして最後に復活の勝利の姿を記します。パウロは手紙の最初に奥義について記しましたが、ここでまた『あなたがたに奥義を告げよう』と記します。奥義中の奥義。復活の姿とはどんな姿か?ということで、3月18日(日)の礼拝は、コリント人への第一の手紙第15章35節〜58節から、「復活の勝利の姿」と題してメッセージでした。

地のものから天のものへ

コリント教会の中には『どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか』と言う人もいました。私たちも興味のあるところ。パウロはいくつかのたとえで説明します。『種』。種は殻や実におおわれています。やがて殻や実は取り除かれ、種だけが残ります。種にこそ命があります(「命あっての物種」という表現もあります)。殻や実は私の体。種は私の霊。私の外側は朽ちても霊は残る。種を蒔けばまた実を結びますが、パウロは『やがて成るべきからだをまくのではない』と言います。今と変わらない体をまたまとうのではないことを、地上の生き物の『肉』と天の星々の『栄光』(輝き)で語ります。地上の生き物がまとう肉には形や大きさや役割の違いがあります。しかしあくまでも『地に属するもの』で土に還ります。しかし復活の体は『天に属するもの』で、星々も形や大きさや色など違いがありますが、肉のような死はなく、ずっと輝き続けるのです。似ているところもあるけれど「天と地ほど」違う、とパウロは言いたいのです。

最初の人から第二の人へ

さらに『最初の人』『第一の人』『土に属する人』アダムと『最後のアダム』『第二の人』『天に属する人』キリストを比較します。天地創造の時、神様は土で人の体を造り、命の息を吹き込まれ、『最初の人アダムは生きたものと』なりました。肉があって命があった。私たちもアダムに連なり、アダムに属したままなら同じ。土が土台、肉が土台、朽ちる体が土台。しかしキリストは十字架の死と復活を通して『命を与える霊』となられました。自分だけじゃない、人にも与えるほどの、湧きあふれる命の霊!私たちがこのキリストを信じるなら、キリストに連なり、キリストに属する者となります。霊が土台、命が土台、その上に朽ちない体があるのです。パウロは『朽ちるものでまかれ、朽ちないものに、卑しいものでまかれ、栄光あるものに、弱いものでまかれ、強いものに、肉のからだでまかれ、霊のからだに』と言葉を重ねます。私たちの今の体も神様によって与えられた素晴らしい体ですが、新しく用意される復活の体はかくも劇的に違うと、パウロは言いたいのです。

死から命の勝利へ

ここに『神の国』が登場します。今も私たちの内側にあります。見えない霊の世界において−天国とも表現しますが−存在します。しかしここでは、目に見える形で出現する新しい天と地を指します。復活の体は何のためにあるか?新しい天と地で生活するためにある。ここでパウロは『あなたがたに奥義を告げよう』と記します。それが私たちの復活の瞬間と死への勝利宣言です。その時『終わりのラッパ』が鳴り響きます。今時は緊急災害速報がスマホを通して同時にあちこちで鳴り響きます。その時はどこにいてもラッパが鳴り響くのを聞くのです。そして先に眠った兄弟姉妹−言い換えれば天国で待機していた兄弟姉妹−も、その時地上で生存していた兄弟姉妹も瞬く間に復活の体が与えられます。では地上で生存していた兄弟姉妹は死を経験しないのか?経験します。新しい服を着るために古い服を脱がねばなりません。パウロは別の手紙で『上に着ようと』とも表現しますが、いずれにしても今の体の死は、その瞬間に経験します。そして今の世界も死を迎え、今まで見えなかった天国が新しい天と地という形を身にまとうのです(詳細はヨハネの黙示録が記します)。そして死への勝利宣言がなされて私たちは新しい天と地で永遠に住まうのです。

パウロは『必ず朽ちないものを着、…必ず死なないものを着る』と言います。この世がもてはやす勝利にはいろいろあります。しかしどんな勝利も死が飲み込んでいきます。私たちを死から救ってくれません。死の向こうの生活を保障してくれません。しかし地上で私たちがどんなに卑しく弱く小さくとも、パウロが伝えた福音、私たちが立ってきた福音を固く守っておれば必ず、この世の勝利に勝る勝利、死への勝利、復活の勝利の姿を手にすることができるのです。『だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい』とパウロ。最後の部分は「主のわざを豊かにしなさい」とも訳せます。私たちは地上の生活で手を抜くことなく、また無いものを絞り出して頑張るのでもなく、神様からいただいたあふれる『命を与える霊』の祝福を喜び楽しみ、豊かに分かち合ってまいりましょう。

3月25日(日)は棕櫚の主日礼拝。マルコによる福音書第14章1節から11節から、「十字架の香りいつまでも」と題してメッセージです。

 

 


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