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祝福の傍流

かつてアダムとエバの長男カインは次男アベルを殺し、エデンの東に移り住みました。カインは神様に向かず聞かず従わない道を選んでいきました。そして恐れがいつもついまといました。自分の力で生き延びなければなりませんでした。だから町を建てた。文化文明が起こった。強力なリーダーが起こった。神様の御名を呼び求めるようになったアダムとエバの三男セツの子孫よりも抜きん出ていましたが、洪水によって滅びました。しかしセツの子孫ノアは新しい世界へ神様の祝福を持ち運びました。ヤコブの長男カインの子孫と次男ヤコブの子孫もこれと似た所があります。ということで、4月29日(日)の礼拝は、創世記第36章1節〜43節から、「祝福の傍流」と題してメッセージでした。

民の数が増える

エサウの系図(歴史)が記されます。最初にエサウの三人の妻の名前が記されます。創世記第26章と第28章に出てくる三人の妻の名前と、第36章で出てくるそれとはみな名前が違います。別人か?聖書が適当なことを記しているのか?というとそうではありません。当時一人に名前が二つあることはよくあることでした。名前の前に付された民族や親の名前も、当時の民族が広範に行き来し、複数の民族と関係を持っていたことを表しています。これらのことから言えることは、エサウとその子孫が、広範な地域において、様々な民族と結婚し、エドム(赤い)の民として、セイル(毛深い)の民として増えていったということです。神様は父祖アブラハムに彼の子孫が増えることを約束されました。神様はエサウを通してもその約束をある程度、実現しておられるのです。

土地を得る

かつてヤコブがカナンに戻った時、『セイルの山地、エドムの野に住む兄エサウのもと』に使いをやりました。しかし第36章では、お互い同じ地域に住んでいて、財産が増えすぎて一緒に住むことができなくなったので、エサウが東に移っていったように記します。これも聖書が適当なことを記しているのではなく、すでにエサウは広範な地域にわたって生活していて、拠点を徐々に東へ移したということです。ここで興味深いのは、かつてアブラハムと親戚のロトの財産が増えすぎて一緒に住むことができなくなり、ロトが東に移っていったことです。エサウの子孫は、ロトの子孫であるアンモン人とモアブ人の住む南側に土地を得るのです。神様は父祖アブラハムに広範な土地の所有も約束されました。神様はエサウを通してもその約束の一角を、実現しておられるのです。

王たちが出る

エサウの子孫からは、ヤコブの子孫よりも一足早く王が出ました。エサウは父祖アブラハムの祝福の中にあって、ある程度その実現を見ました。しかしエサウとその子孫は、カインの子孫のように神様に向かず聞かず従わない道を選んでいきます。自分の力で生き延びなければならない。だから神に代わる王が出た。神頼みではなく人頼み。神様は王を否定してはおられません。後に神様はイスラエルに、神様に向いて聞いて従うしもべとしての王を求められます(神様に向いて聞いて従う士師や預言者も国をリードしました)。しかし神様に向かず聞かず従わないなら、かつての「へび」に似た、偽りをもって何もかも奪い取る独裁的な王となっていく。エドムはやがて、キリストに敵対する、祝福を阻止しようとする、ヘロデ王を生み出すこととなるのです。

自ら祝福の本流を外れるなら、傍流となり枯れていく。今、神様抜きの知恵や力や美しさがもてはやされ、それらを兼ね備えた人や国を世はこぞって賞賛しています。しかしそういうものが無くても、父祖アブラハムたちのような弱さがあっても、何番目に生まれようとも、神様に向いて聞いて従うなら祝福の本流にあるのです。『エドム人の先祖はエサウ』どまり。しかしキリストを信じ、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』の祝福にある者は『神にいたる』(ルカ3:38)。それは遡るだけではなく、将来においてもそうなのです。

5月6日(日)の礼拝は、コリント人への第一の手紙第16章1節〜24節から、「主のわざに励む諸教会」と題してメッセージです。


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