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主のわざに励む諸教会

天授ヶ岡教会が所属する日本イエス・キリスト教団では近年、協力教会制度を導入しました。戦後日本の成長に歩調を合わせるように宣教と教会成長に取り組んできましたが、今様々な課題に直面しています。価値観が多様化し、問題が複雑化する現代、一つの教会だけではやっていけない、教会同士、様々な面で協力していきましょう、ということで協力教会制度が始まりました。しかし教会が協力し合うことは何も新しいことではありません。コリント人への第一の手紙にその様子が記されています。ということで、5月6日(日)の礼拝は、コリント人への第一の手紙第16章1節〜24節から、「主のわざに励む諸教会」と題してメッセージでした。

経済的な支え合い

パウロは『だから、愛する兄弟たちよ。固く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい』と語った後、エルサレム教会への献金を要請します。『主のわざ』とは神様の命と支配と愛を喜んで楽しんで分かち合うことです。その具体的な行為の一つが献金でした。最初の教会。エルサレム教会。しかしユダヤ教社会ゆえに迫害と貧しさの中にありました。パウロは伝道旅行で生み出してきた諸教会に呼びかけ、「日曜日毎にこのことのために献金を蓄えなさい。手紙を添えて持って行きなさい。なんなら私も一緒に行くから」と、エルサレム教会に敬意を払う丁寧な態度で支えようとしました。その姿は昔も今も変わらない。私たちも諸教会の実情を知り、時と必要に応じ、自らできる献げもので支え合う。できる時は喜んで献げ、できない時は感謝して受ける。献げる側、受ける側、どちらも敬意を忘れない。教会の大小を問わず、そこに優劣や上下はないのです。

教師たちによる支え合い

パウロはコリント教会へテモテを遣わそうとしていました。テモテはパウロの第二回・第三回伝道旅行に同行し、パウロの指示で諸教会を巡っています。またアポロが登場します。パウロが最初のコリント宣教を終え、エペソ経由でエルサレムに帰った時、アポロはエペソからコリントに来ました。そしてパウロが再びエペソにやって来た時(この手紙を書いている時)、アポロもエペソに戻って来ました。「アポロ、コリント教会で問題があるらしいな。これからテモテを派遣しようと思うが、一緒に行ってくれないか?」「いや、別に予定がある。コリント教会の問題については引き継ぎをして行くよ」というようなやりとりがあったことを、10節〜12節はうかがわせます。とにかく。パウロも諸教会を巡って指導しました。テモテ、アポロ、パウロ、はたまた他の使徒もみんなキャラや働きが違います。その姿は昔も今も変わらない。一人の教師が一つの教会にずっといるのが「当たり前」ではなく、様々な賜物を持った様々な教師が、諸教会の実情を知り、どんな助けが必要か相談しながら、横断的に支え合うことが「当たり前」なのです。

兄弟(姉妹)たちによる支え合い

パウロはテモテがコリントからエペソに戻って来る時、『兄弟たちと一緒に来るのを』待っていました。アポロにも『兄弟たちと一緒に』コリントへ行くよう勧めています。またステパナ、ポルトナト、アカイコという人々が登場します。ステパナは『アカヤの初穂』、コリント教会の第一号。ポルトナトの素性はわかりません。アカイコは名前から奴隷だったのではないかと言われます。この三人がコリント教会から、パウロへの質問状を持って来て、コリント教会の問題を相談したと考えられます。パウロはこういう人たち(社会的身分に関係なく)こそ重んじるべきだと記します。とにかく。無名有名にかかわらず、様々な教会の様々な兄弟たちが諸教会を行き来していました。その姿は昔も今も変わらない。一つの教会では行き詰まってしまうことがある。そんな時、より多くの兄弟姉妹の視点・知恵・経験を分かち合うことで、問題の糸口や解決が、慰めや励ましが与えられるのです。

諸教会による支え合い

『アジヤの諸教会から…よろしく』『アクラとプリスカとその教会から…よろしく』『全ての兄弟たちからよろしく』とパウロ。教会は会堂ではなく人です。ここにアクラとプリスカという夫婦が登場します。彼らはローマでクリスチャンになり、コリントに来た時、パウロに出会います。パウロがエペソ経由でエルサレムに帰る時、夫婦はエペソまで同行し、しばらくそこにとどまります。そこへ先のアポロがやって来て雄弁に説教しますが、夫婦は彼がバプテスマのヨハネしか知らないことを知り、懇ろに『神の道を解き聞かせ』ました。彼がコリントに渡る時、夫婦は励まし、紹介状まで添えて送り出してくれました。この夫婦はさながら移動する教会。しかし彼らは、行った先々に「アクラ&プリスカ教会」を生み出し、他の諸教会を夫婦流に染め上げたのではありません(パウロが「パウロ教会」を生み出したのではないのと同じ。教会は主の教会)。諸教会に仕えたのです。彼らは信徒でしたが教師ほどの力量がありました。しかし偉ぶることなく、教師に敬意を払って養い、心尽くして励ましました。教師も信徒も、どんな地方のどんなサイズの教会も、行き来しながら、敬意を払って分かち合い、仕え合い、支え合っていたのです。

だから教会協力は新しいことではありません。教会の本質的で自然な営み。それを難しくさせるものがあるとすればプライドです。自分の弱さや問題を認めない。どんな助けが必要か考えない。助けを求めない。逆の立場では、相手の必要に聞こうとしない。仕えようとしない。自分たちの成功体験を押しつける。というようなことではないでしょうか。13節〜14節と20節〜21節のパウロの言葉を、この手紙全体を振り返りつつ、噛み砕いて言うならこうです。「自分の弱さや問題に目をさまし、信仰に立って雄々しく取り組みなさい。助け合って強められるのです。相手を馬鹿にしたり、支配したりするのではなく、愛をもって仕え合うのです」。「主が来られるその日まで、親愛の情をもって主にお仕えするように、お互いもまた親愛の情をもって仕え合うのです」。

5月13日(日)の礼拝は、マタイによる福音書第10章34節〜40節、第12章46節〜50節から、「本当の家族愛はどこに」と題してメッセージです。


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