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バプテスマの恵み

4月から、第三週礼拝でマルコによる福音書を味わい始めています。そして5月20日(日)は聖霊降臨を記念するペンテコステ礼拝でした。聖霊様が私たちの元に来て下さって以来、たくさんの恵みがありますが、バプテスマの恵みもその一つ。ということで、マルコによる福音書第1章9節〜11節から、「バプテスマの恵み」と題してメッセージでした。

イエス様がどうしてバプテスマを受けるのか?

『神の子イエス・キリストの福音のはじめ』に、バプテスマのヨハネが現れ、罪の悔い改めのバプテスマを宣べ伝え、人々を主の道に戻し、主の道をまっすぐにする役目を果たします。人々は自分の罪を自覚し、神様に的を戻す表明として『罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマ』を受けました。そしてイエス様もバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられました。なんで?イエス様にも罪があったん?いえ。イエス様は罪のゆるしだけではない、新しい意味を身をもって示されたのです。

・神の子としての成長が始まる

『そして、水の中から上がられると』。この『上がられる』という言葉は「成長する」という意味もある言葉が使われています。バプテスマによって、神の子としての成長が始まるのです。

・天と地がつながる

『すぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった』。当時『天』は神様のおられる所で人間は行けない所、と理解されていました。しかしその天が裂けて、聖霊様が地上におられるイエス様に向かって下ってこられた。バプテスマによって、聖霊様によって、天(神)と地(人)がつながるのです。

・愛の宣言をいただく

『すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」』。イエス様は地上におられ、聖霊様は天と地をつないでおられます。では天からの声は?父なる神様です。バプテスマによって、「お前は私の子だ!愛しているよ!」との父なる神様の声をいただけるのです。

イエス様は元々神の子。罪はない。三位一体の交わりも持っておられました。しかし、バプテスマを受けられることで、新しい意味を、愛の恵みを示して下さったのです。

私たちも神の子とされるバプテスマを受ける

私は今まで、いろんな方のバプテスマに立ち会いました。またバプテスマを受けない理由もいろいろ聞かせていただきました。家の宗教や地域や職場の問題。自分の罪深さや学びの浅さ、心の準備ができていないこと。また死の間際にでも受けられれば、というようなことも。人間の側にいろいろ理由はありますが、神様の側ではそれらは問題ではありません。バプテスマは最初に記されています。イエス様は他の福音書で『だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない』と言われました。私たちは羊水と共にこの世界に生まれます。事前に勉強して生まれてくるわけではありません。何も身につけていません。生まれるからこそ、「生まれてくれてありがとう」「かわいいね」「愛しているよ」という交わりが始まる。交わりの中で成長がある。バプテスマも同じ。バプテスマは第二の誕生です。水だけではなく聖霊様によって神の子として生まれる。父なる神様(天)、聖霊様(天と地)、神の子イエス様(地上にいる私の側)にまっすぐつながる。神の家族の交わりが始まる。神の子としての成長が始まる。今までがどうであろうとバプテスマから全てが始まるのです。

私たちが罪を自覚し、自力で罪を償い、全うに生きようとしても、そう簡単ではありません。水だけのバプテスマなら罪を拭うことが精一杯。何度も禊ぎが必要でしょう。バプテスマのヨハネはその限界を感じたからこそイエス様を示しました。『わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう』。イエス様のバプテスマ、聖霊によるバプテスマは、天を裂いて降り注ぐ神の力!私たちを取り囲む神の愛!神の子として成長させる神の交わり!の始まりです。ペンテコステは、私たちのバプテスマが、イエス様のバプテスマと同じ意味のあるものとして下さった日。この恵みに感謝しましょう。

5月27日(日)の礼拝は、コリント人への第二の手紙第1章1節〜11節から、「慰めの手紙」と題してメッセージです。


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