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あなたは、わたしに従ってきなさい

1月13日(日)はドロシー・エレン・ホーア先生と福田八重先生の記念礼拝であると共に、教会70年記念礼拝でもありました。90年前から今日に至る貴重な写真をスライドで見ながら、お2人の働きと教会の歩みを振り返り、鍋をいただきながらこれからの教会の姿を語り合いました。

お2人は伝道者・牧者として働きを全うされました。しかし伝道者・牧者だけが献身し、伝道し、教会を生み出し、養うのではありません。それは私たち全員の営み。学びの場があるならそこで主の証し人として立つ。働きの場があるならそこで主の証し人として立つ。家庭があるならそこで主の証し人として立つ。「でもホーア先生や八重先生のようにはようしません」「主の証し人なんて、そんなに気負って勉強や仕事や生活をようしません」と気後れするでしょうか。神様は無いものを絞り出して頑張れとは言われません。私たちに必要なものを与え、力づけ、用いて下さいます。ということで、ヨハネによる福音書第21章1節〜22節から、「あなたは、わたしに従ってきなさい」と題してメッセージでした。

たとえマイナスでも

かつてペテロは「おれは他の弟子たちとは違う!イエス様を一番愛している!従っている!イエス様のためなら死んでもいい!」と豪語していました。イエス様はそんなペテロに『鶏が鳴く前に、あなたは三度「知らない」と言う』と言われました。イエス様が捕らえられ夜中の裁判が始まりました。ペテロはこっそり裁判の庭に入ります。周囲から「あんた、イエスの弟子じゃないか?」と言われ、「おれは関係ない!イエスなんか知らない!誓ってもいい!」と答えます。そんなことが3度。鶏が鳴きました。あれだけ愛し、息巻き、自信があったのに。裏切り、失敗し、打ち砕かれた。もう赦されない、回復不能、致命的。罪意識と後悔と恥に苛まれる。ゼロというよりマイナス。私たちにもないか?クリスチャンなのに何もできない。いや「これでもクリスチャンか!」。自分が思うだけではなく人に言われる。「だからクリスチャンは嫌いだ!」とまで。ペテロは漁師に戻って漁に出ていた。しかし復活されたイエス様は火をおこし、魚を焼き、パンまで用意してペテロを迎えられた。イエス様の方から声をかけられた。私たちにはこのイエス様が必要。たとえマイナスでも、いやだからこそ、イエス様は声をかけ、手を差し伸べて下さるのです。

癒し力づけ新しく

イエス様は3度『ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか』と尋ねます。ペテロは三度『わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と答えます。イエス様は意地悪?いいえ。三度の傷を癒すため。イエス様の1回目と2回目の『愛するか』はアガペー(神の愛)、3度目はフィレオー(兄弟愛)という言葉が使われています。一方ペテロは3度ともフィレオーで返事をしています。ペテロはありのままの自分を告白し続けたのです。以前のような背伸びする姿はありません。イエス様もありのままのペテロを受け入れ、イエス様の方からペテロの目線に合わせて下さったのです。それでいい。そこから始めるんだ。素直になったところから。身の丈に合ったところから。イエス様はペテロに『わたしの羊を養いなさい』と新しい使命を与えられました。私たちがたとえマイナスでも、ありのままの姿を告白するなら、イエス様は受け入れ、力づけ、それぞれにふさわしい新しい使命を用意して下さるのです。

そういうお互いと共に

ペテロは三度のやりとりで少し元気と余裕が出てきました。近くにいたヨハネが気になって、イエス様に『この人はどうなのですか』と尋ねます。するとイエス様はすぐに『あなたは、わたしに従ってきなさい』と言われます。他より自分が一番だと比べてきたペテロ。もう比べるな。気にするな。とにかく、まずわたしに従いなさい。これはワンマンでやれ!という意味ではありません。イエス様はチームの監督のようなもの。一人一人の特徴や賜物を一番理解して適材適所で用いられるのです。だからまず、イエス様に従う。そして私たちはワンマンプレーやスタンドプレーをするのではなく、イエス様の配置に従って、協力し合う。そこにチーム全体の調和が生まれる。力が発揮される。それが私たち教会なのです。

イエス様の昇天と聖霊降臨の後、ペテロはヨハネや他の弟子たちと協力してエルサレム教会を指導し、伝道へ出かけました。ホーア先生と八重先生も、他の働き人や多くの信徒と共に協力しながら、戦前から戦後にかけて、東京・大阪・京都と伝道し教会を生み出し、戦後の教団や神学校の礎を築かれました。皆さんにもイエス様は必要なものを満たし、それぞれにふさわしい働きを用意し、『あなたは、わたしに従ってきなさい』と語られます。その声に従うなら新しい主のみわざが始まります。そんなお互いが協力するならどんなに大きなみわざが実現するでしょうか。天授ヶ岡教会を創造された神様に期待し、監督であられるイエス様に従い、豊かな成長と結実のために共に労してまいりましょう。

1月20日(日)の礼拝は、コリント人への第2の手紙第6章1節〜10節から、「どんな中でも恵みに生きる者」と題してメッセージです。


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