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始終一貫インマヌエル

今年の夏、教団青年宣教大会があり、テーマが「主と共に生きる!今こそガチで臨在信仰」でした。テーマの元になった聖書の言葉が『わたし自身が一緒に行く』(出エジプト33:14)、『わたしはモーセと共にいたように、あなたと共におる』(ヨシュア1:5)でした。いずれも旧約聖書。そして神様が「共にいる」という臨在の言葉。それは旧約聖書も新約聖書も変わらない。新約聖書の最初もインマヌエル『神われらと共にいます』と記します。ということで、12月15日(日)待降節第3週礼拝は、マタイによる福音書第1章23節〜25節から、「始終一貫インマヌエル」と題してメッセージでした。

人として共にいるために 第1章23節

『「見よ、おとめがみごもって男を産むであろう。その名をインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である』。旧約聖書の時代、神様は見ることができませんでした。ですからイスラエルの民は「神様は本当に共におられるのか?」と不安になり、木や石や金属でできた見えて触れられる神を欲しがり、富み栄えていた他国の王様や、強い軍隊を持つ大国を頼りました。そして疫病や飢饉にみまわれ、財産を奪われ奴隷にされ、国を滅ぼされ、「神は私たちにはおられない。私たちは見捨てられた」と嘆きました。そしてついには「目には見えなくとも、私たちを本当に助け祝福して下さるのは聖書の神なのだ」と回心し、徐々に回復されていく…そんなことを繰り返していました。民が神様からそっぽを向いている時、神様は共におられなかったのか?民を見捨てられていたのか?いいえ。神様はいつも共におられることを身をもって示されました。それがイエス様。私たちと同じ体・同じ目線で、同じ生活をされた。人々が近づこうとしなかった汚れた霊につかれた人や、重い皮膚病の人、取税人や遊女や異邦人に近づかれ、言葉をかけ、触れ、癒し、食事を楽しまれました。権力者である王や総督、律法学者や祭司たちとも向き合われ、彼らの間違いや高慢を素直に指摘されました。その人に罪や汚れや問題があるから、不信仰だから、逆らっているから一緒にはいられない!いてやらない!なんてことはなかった。来る人を拒まず、行く先の人を選ばず、どんな人とも粘り強く向き合い共におられ「いつも私はあなたと共にいる。私を知ってほしい。受け入れてほしい。求めてほしい。そして従ってほしい」と声をかけ、手を差し伸べておられました。

見えなくとも共にいるために 第28章20節

イエス様は守衛に守られたぬくぬくとした王宮で、下々からかけ離れた生活をされたのではありません。下々の者となって生活された。時の権力者はイエス様を神の子と認めない。彼らの神の子イメージは王宮に誕生したぬくぬく王子。だから受け入れられない。しかも神に仕えている律法学者や祭司に刃向かうようなことを言う。やつこそ冒涜者!だから十字架で殺した。なきものにした。しかし。3日後イエス様はよみがえった。イエス様は消せない。イエス様を十字架につけた彼らをも赦し、再び彼らと共にいて、彼らが本当の神様の姿を知り、その生き方に従うようになるために。そして40日後に天に帰られた。『見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる』という言葉を残して。イエス様は見える時も見えない今も変わらずガチで臨在しておられます。私に信仰があってもなくても、イエス様を忘れていても逆らっていても、弱さや罪や汚れや問題があっても、すごすご逃げ出す柔なイエス様じゃない。すぐに切れて怒ってどこかへ行ってしまうイエス様じゃない。にせキリストがはびこり、災害が頻発し、疫病が蔓延し、戦争が繰り返されても世の終わりまで決して離れない。なぜならこの世界も私たちもイエス様が創造して下さったから。トコトン愛し共にいて、呼びかけ手を差し出しておられる。私たちを救い癒し祝福しようと。私たちの最大の問題は、共におられるイエス様に無関心だということ。すぐ側にあっても関心がないならないも同じ。私たちがするべきことは、ガチで臨在されるイエス様に、ガチで向いて聞いて従うこと。そうすれば知識も体験も人生も世界も変わる。さらに今の世界を越えて新しい天と地に生きることができる。そこまでインマヌエルなイエス様なのです。

マタイによる福音書は最初から最後までインマヌエルなイエス様を描き出します。「あなたと一緒にいたい。同じ体をもって、同じ世界を感じ、あなたがどんなことで悩み傷み苦しんでいるか知ろう。どんな罪や誘惑にさらされ、自分ではない力に弄ばれ、自分を失っているか知ろう。あなたを助け出し、私が創造したあなたを回復し、私と同じ神の子として再創造しよう。私の永遠の命と、私と同じ復活の体を与えよう。そして新しい天と地で共に住まおう。そのためにまず私が降ってきた。あなたと同じになった」。それがクリスマス。どんだけ私たちのことが好きやねんイエス様!ありがとう。私たちのためにこの世界に生まれてくれて。私たちと共にいてくれて。

12月22日(日)はクリスマス礼拝&祝会。ヨハネの第1の手紙第4章7節〜12節から、「神が人となった日」と題してメッセージです。


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