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若者にすぎないと言うな

今年、成人式を迎える方々が教会にあることを感謝します。青年のために祝福をお祈りいたします。それと共にここにおられる全員が今一番若い時。共々に祝福をお祈りいたします。今日は若くして預言者活動を始めたエレミヤを通し、私たちの歩みの確かさを教えられたい。ということで、1月5日(日)の青年祝福礼拝は、エレミヤ書第1章1-19節から、「若者にすぎないと言うな」と題してメッセージでした。

主があなたを選んでおられる 1-7節

エレミヤはアナトテという町に生まれました。レビ族の町。祭司の息子。エレミヤが神様から預言者として召命を受けたのは20歳そこそこ。エレミヤは歴史が始まって以来、人々がいかに神様に背き、人間的な力を求め、神様に従う人を虐げ殺してきたか、その深い闇を小さな頃から学んでいました。ですから神様からお声がかかった時、とてもやないけどできません!と悲鳴を上げました。しかし神様は、エレミヤを母の胎に宿す前から預言者として立てたと言われるのです。私たちは偶然生まれたのでも、目的もなく生まれたのでもありません。神様が目的を持って創造されました。若いから老いたから、男だから女だから、学歴があるからないから、キャリアがあるからないからと、私たちは生まれた後のことを問題にしがちです。だからできない、だからできると言い訳します。でも神様は違う。「生まれる前からあなたをそう造った。生み出した。だからそのように生きられる」。私たちは神様の選びに、何はともあれ応答すれば良いのです。

主があなたを整えられる 8-17節

神様は『彼ら(の顔)を恐れてはならない』と2度繰り返されます。今まで繰り広げられてきたおどろおどろしい人間の歴史。そこに群雄割拠するパワハラ強面権力者たち。エレミヤはそんなお歴々の顔を思い浮かべて卒倒しそうでした。あんな人々に歯に衣着せぬことを言うなんてマジ無理!ここで神様は『あなたは何を見るか』と尋ねられます。エレミヤは見たままを答えます。すると神様はその見たものの意味を教えられます。そんなことを繰り返す。何をしているのか?エレミヤの預言者としての練習です。いきなり相手がぐうの音も出ないような力強い言葉を蕩々と語れと言われているのではない。簡単なところから少しずつ慣れさせておられる。神様は、その人にできないことを無理矢理させるお方ではありません。私ができるように造り、できる力を与え、私のペースに合わせてトレーニングして下さるのです。私たちは、人の顔や立ちはだかる問題に縮こまるのではなく、何はともあれ神様の顔に向いて、そのレッスンについていけば良いのです。

主があなたと共に全うされる 18-19節、10節

20歳そこそこの青年は、強面パワハラ権力者たちをスーパーパワーでなぎ倒すスーパーヒーローになったか?人々はエレミヤを拒絶し、にせ預言者呼ばわりしました。1日パン1個の軟禁状態にしたり、泥の入った穴に投げ込んだりしました。国は滅びましたがエレミヤは自分の土地に帰ることができました。他の人々はエジプトへ逃れ再起を図ろうとします。エレミヤは全滅すると警告しますが聞き入れず、エレミヤを道連れにしました。しかし。エレミヤの預言は全てその通りになった。大国バビロンやエジプトも預言通り滅びた。エレミヤという神の預言者を誰も攻め落とせなかった。彼の発した神の言葉に誰も勝てなかった。権力者も国も移り変わる中で彼と神の言葉は揺るがなかった。エレミヤは実に40年、預言者の働きを全うした。それは神様が共にいて下さったから。『わたしはあなたと共にいて、あなたを救うから』(8,19)。私たちが与えられた働きを全うし、永遠の救いに至れるのは、ひとえに神様が共にいて下さるから。私たちは、何はともあれ、共にいて下さる神様に従って、歩み続ければ良いのです。

神様の敷かれたレールは嫌だ!自分がやりたいようにやりたい!エレミヤみたいな悲惨な人生はごめんだ!と私は思ったことがあります。しかし小さな頃から聖書に愛着がありました。エレミヤが言うように『わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました』(15:16)。ずっと支えてくれた。振り返れば自分がやりたいようにやってきました。それが今の肥やしになっている。エレミヤほどでないにせよ苦労も病もありました。それも今の肥やし。神様とその言葉と共にある時、そこに自由があり、私らしい働きがあり、最高に満足な私があるのです。若者にすぎないと言うな。年を取り過ぎたとも言うな。神様はあなたを最高の目的を持って創造し、最高のあなたとして導きたいのです。今この時が早すぎることも遅すぎることもありません。今与えられている思い、家庭、学び、仕事に、神様と共に丁寧に向き合い、今できる最善を尽くしましょう。神様は必ずあなたと共におられ、次に開けるべき扉や進むべき道を示して下さいます。

1月12日(日)はホーア師・八重師記念礼拝。マルコによる福音書第3章13-19節から、「私たちはイエス様の弟子」と題してメッセージです。


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