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幸い。シンクロされる神様

シンクロとは「同期する」「同時に起こる」「タイミングを合わせる」ということです。シンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)やマスゲームが代表例でしょうか。共に授業を受ける、合唱する、共に喜び悲しむ等もシンクロと言えるでしょう。礼拝もそう。共に賛美し祈り御言葉に聞く。考え出すといろんなシンクロがあります。最近、お互いが見つめ合うと脳が同期することがわかってきました。赤ちゃんと大人でも同期するそうです。実は神様も私たちとシンクロされます。ということで、1月19日(日)の礼拝は、詩篇第9篇1-20節から、「幸い。シンクロされる神様」という題でメッセージでした。

神様を忘れる者は消し去られる

第9篇の表題は「ムツラベンのしらべにあわせてうたわせたダビデの歌」。ムツラベンとは「息子の死に寄せて」。ダビデの息子の死?詩篇第8篇は「ぶどうしぼりの歌」でした。喜ばしい歌。第9篇は悲しい歌?しかし内容は息子の死とはあまり関係がないように思えます。第9篇には2種類の人々が出てきます。1つ目はダビデに敵対し、神様を否定し忘れる人々。ダビデは彼らの行き着く先を記します。『つまづき倒れる』『滅びる』『絶えはてて、とこしえに滅び』『自分の作った穴に陥り、隠し設けた網に自分の足を捕らえられる』『自分の作ったわなに捕らえられる』『その記憶さえ消え失せました』。自ら墓穴を掘っている。と同時に。興味深いのは神様の態度。『あなたは…悪しき者を滅ぼし』『あなたが滅ぼされた』『永久に彼らの名を消し去られた』。シンクロしている。神様は仕返しされているのか?彼らへの愛はないのか?いいえ。『主よ、彼らに恐れを起させ、もろもろの国民に自分がただ、人であることを知らせてください』。『人』とは『弱い』という言葉。第8篇で出てきました。人は神様より『少しく』小さく弱く低い存在として造られた。それでも感動があまりある。と同時に私たちは神様なしに生きられない。神様を否定し、神様の立ち位置に自分を置いても、神様にはなれないし、弱い人々を虐げ苦しめ奪うことしかできない。神様はそんなおごり高ぶる人々の姿を、鏡に映すように見せ、「あなたがどんな姿か、どんな道を行こうとしているのか、見て気づいてほしい。そして私に立ち帰ってほしい」と願っておられるのです。

神様を尋ね求める者は救われる

もう1つの種類の人々は神様を尋ね求める人々。と同時に神様を宣べ伝える人々でもあります。第8篇でも『みどりごと、ちのみご』のように弱さを自覚した人々が神様の『名の尊さ』を地にあまねく広げました。ここで興味深いのは神様の態度。『主よ、わたしをあわれんでください。死の門からわたしを引きあげられる主よ、あだする者のわたしを悩ますのをみそなわしてください。そうすれば、わたしはあなたのすべての誉れを述べ、シオンの娘の門で、あなたの救を喜ぶことができます』と同時に『あなたがわたしの正しい訴えを助け守られた』『主はしえたげられる者のとりで、なやみの時のとりでです』『あなたは捨てられたことがない』『主は彼らを心にとめ』『苦しむ者の叫びをお忘れにならない』『貧しい者は常に忘れられるのではない。苦しむ者の望みはとこしえに滅びることはない』。シンクロしている。神様を認め尋ね求める者を、神様は捨てず忘れず滅ぼさず、救い守り御前にあり続けさせられるのです。第8篇はイエス様のことを記していました。イエス様を知らないダビデでしたが、そのダビデを通して神様が記された詩篇です。その目線で第9篇を読み味わうと、イエス様と同時に十字架につけられた強盗を思い出さずにおれません。強盗は最初イエス様をののしっていました。しかしイエス様のとりなす姿を見て心を変えます。彼はイエス様の十字架の姿を見て、自分の惨めな姿と罪深さを知ったのです。彼はイエス様に言います。『あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください』するとイエス様。『あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいる』。『思い出してください』『一緒にいる』。彼は土壇場で永遠の抹消から救い出されました。

「息子の死に寄せて」。息子とは、実は神のかたちである私たちと神の子イエス様なのではないか。神様を忘れ、神のかたちを見失い、罪人として滅び去る私たちを悲しみ悼む歌。しかし神様は私たちを見捨てない。私たちにシンクロするため、神の子イエス様が人となって私たちの滅びを十字架で身代わりに味わわれた。どこまでシンクロするのか!そしてよみがえり天に上り、今度は私たちが神の子にシンクロできるようにして下さった!息子たちを死から、息子の死によって、もろともに救い出すために!何という幸い!赤ちゃんと大人でもシンクロする。私たちは神様に向かって求め賛美し従いシンクロするのです。

1月26日(日)の礼拝は、ヨハネによる福音書第5章1-18節から、「素直に求める祈り」と題してメッセージです。


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