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幸い。腐らないために

ドラマやアニメを見ていると、主人公が「どうせ俺なんかどうでもいいんだ」と吐き捨てる。すると友人が「腐ってんじゃねえよ」と注意する。そんなシーンがあったりします。また人のことを悪く言うことを「腐す」とも言います。自分のことを言って腐る。他人を悪く言って腐す。いずれも自分の心が腐っていないか?聖書にはそんな風に腐ってしまう人が記されています。ということで、5月3日(日)の礼拝は、詩篇第14篇1-7節から、「幸い。腐らないために」と題してメッセージです。

腐ってしまう人 1-4節

詩篇第14篇も『ダビデの歌』。『愚かな者』が登場します。「ナバル」という言葉です。ダビデがサウル王に追い回されていた頃、ナバルという強情で粗暴な大富豪がいました。ダビデが荒野をさすらいながらも、ナバルの羊飼いと羊を守ったことがありました。それでダビデはナバルに使いを出し、食糧を分けてもらえないかお願いしました。当時それが常識。しかしナバルはダビデを悪く言って要求を拒否。しかし羊飼いたちはナバルの妻アビガイルにダビデの功労に報いるべきだと懇願し、アビガイルが食糧を運び、とりなしました。ダビデはナバルへの刀を鞘に収めました。その頃ナバルは王のような大宴会を開いて酔いしれていましたが、その報告を聞いて石のようになり十日後に死亡…そんなことも第14篇の背景にはあるようです。『愚かな者』は『心のうちに「神はない」』と言いますが、単に無神論を言っているのではありません。ここに「腐る」という言葉が2回出てきますが、それぞれ違う言葉です。1節の『腐れはて』は「乱れる」「破壊する」という言葉で、ノアの洪水前の人々にも使われた言葉です。3節の『腐れた』は「よごれる」「腐敗する」という言葉です。また『迷い』という言葉がありますが「逸れる」という言葉です。神様を知っていながら、向かず聞かず従わない。的からどんどん逸れ、自ずと的外れな行為になり、社会が乱れるようになり、ついには破壊を来す。それが腐敗の進んだ状態です。そして『彼らは物食うようにわが民をくら』うようになる。腐っていく自分を生き延びさせるために、他人から奪うようになるのです。

腐らない人 5-7節

腐らない人は『賢い者』『神をたずね求める者』『善を行う者』『正しい者のやから』。ここから、そして詩篇第1篇から学んできてわかることは、腐らない人、新鮮な人、恵みを分かち合う人は、神様に向いて、聞いて、従う人です。そしてもう一つ『貧しい者』に身を置く人です。ダビデは自分から王になったのではなく、神様がダビデを王とされました。しかしサウルはそれを認めず、王としての知力・財力・権力・コネクションなど総動員して握りつぶそうとしました。ダビデはサウルも元々神様に立てられた王として、刃向かわずひたすら逃げ、夜露に濡れ、食べることにも事欠きました。そんな中でナバルの話しもあるわけです。しかし結果は?サウルは悲惨な死を遂げます。『その時、彼らは大いに恐れた。神は正しい者のやからと共におられるからである。あなたがたは貧しい者の計画をはずかしめようとする。しかし主は彼の避け所』。『貧しい者の計画』とは神様の計画です。『愚かな者』に貧しくさせられた人々と共に神様はおられる。聖書が語る『愚かな者』は華々しく、知的で強く、富み栄えています。世の中の常識から見れば『愚かな者』には見えない。そしてその足下には『貧しい者』が無数に苦しんでいる。そういう人たちが逆に愚か者呼ばわりされている。しかしダビデは『貧しい者』の側に立ち続けました。なぜなら神様がダビデをそのために立てられたから。そして『シオンからイスラエルの救が出るように。主がその民の繁栄を回復されるとき、ヤコブは喜び、イスラエルは楽しむ』に至るのです。ダビデを通して、神様の新鮮な恵みが民に流れ出す。ダビデは淀んでいる暇などありませんでした。

私たちはどうか。「私は神様を信じ、洗礼も受け、礼拝に出席しています」と言われますか?あなたの普段の生活はどうか?普段から御言に耳を傾け、神様とコミュニケーションし、その恵みを身近な人に分かち合い、共に喜び楽しんでいますか。口では「神はいる」と言いながら、態度が「神はない」と証ししていないか。サウルもナバルもイスラエル人。神様も律法も知っていた。でも彼らは『愚かな者』に身を置いたのです。ダビデは生涯『主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思』いました。朝な夕などんな状況でも祈り、叫び、賛美しました。だから彼は腐らなかった。新鮮な主の恵みを分かち合った。腐らないために、いえますます新しく豊かになるために主が共におられます。この主と共に歩むシンプルライフを続けましょう。

5月10日(日)の礼拝は、ヨハネによる福音書第9章1-41節から、「神のみわざが家族に」と題してメッセージです。


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