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強化される祝福

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神様から人間への最初の祝福はこうでした。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ。…わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう」。しかし人間は祝福を全地へ広げず、逆に暴虐を全地に広げました。破滅した世界は洪水でぬぐい去られました。神様は箱舟を用いて、ノアとその家族、そして動物たちの命を持ち運び、再出発をはかられます。その時、神様は再び祝福して彼らを新しい世界へ送り出されました。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。」最初の祝福と今回の祝福はどう違うのか?ということで11月20日(日)の礼拝は、創世記第9章1節〜17節から、「強化される祝福」と題してメッセージでした。

念押しされる祝福

ノアたちが箱舟から出て最初にしたことは、神様への燔祭(火で焼く献げもの)でした。神様は「その香ばしいかおりをかいで」今回の祝福をのべられました。その中で、人間に支配される生き物も、人間に対して「恐れおののいて」従うようにされました。また「すべて生きて動くもの」を食物として与えられました。神様が肉を食べたからか?洪水前の人々が秩序を乱して肉食が始まっていたからやむなく追認されたのか?聖書は肉食を奨励しているのか?いえいえ。神様は人間の親のような気持ちで語っておられるのです。神様が肉を焼く香ばしいかおりを受け入れられたから、人間にも肉を食べることを許された。人間が新しい世界で生き物を治め始めるが、生き物もそれに協力して従ってほしい。より豊かな祝福をより確かにするための念押しをなさっているのです。

委ねられた祝福

今回の祝福には追加事項があります。「あなたがたの命の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復するであろう。人の血を流すものは、人に血を流される、神が自分のかたちに人をつくられたゆえに。あなたがたは、生めよ、ふえよ、地に群がり、地の上にふえよ」。人の血を流すものに神様が報復すると言われます(動物の命についてはまた別に)。しかし命を奪ったものは「人に血を流される」とも言われます。どっちやねん?神様は、アダムが自分の身を隠したとき「あなたはどこにいるのか」と求められ、カインがアベルの命を奪ったときカインに「アベルはどこにいるのか」と求められました。命は本来あり続け増え続けるもの。隠したり奪ったりするものではありません。だから神様は命を奪うものに、奪った命を求められます。そして今回から、人間自ら命を大切にし守り増やす、強い自覚を持ってほしいと、親が子に大切な仕事を少しずつ任せるように、大事な権限を人間に委ねられたのです。

しるしで現される祝福

ここで、今後水によっては世界を滅ぼすまいとする契約として虹がしるしとなります。虹というしるしは洪水からの救いを意味します。聖書はこのような「しるし」を通して与えられる救いと祝福を記し続けます。鴨居に塗られた血、掲げられた青銅のへび、祭壇に注ぎかけられた動物の血、そして十字架…。また水を経ることで与えられる救いと祝福を記し続けます。幼子モーセの救出、出エジプトの紅海渡り、カナン入りのヨルダン川渡り、ヨハネの水によるバプテスマ…。「災い転じて福となす」という言葉がありますが、神様の祝福はどんなことがあっても弱まることはありません。私たちがどんなに失敗してもあきらめず救い出し、わが子のように教え諭し委ね、祝福をより強くより確かにより豊かに、神様と私たちの関係もより太くより近くより似たものにしようとされるのです。あくなき神様の熱心と愛に感謝したいと思います。

11月27日(日)は待降節(アドベント)第一週礼拝。マルコによる福音書第13章5節〜27節、ルカによる福音書第2章8節〜12節から、「最暗黒に光」と題してメッセージです。


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