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神の約束を信じて

待降節。キリストの来臨に思いを馳せる季節。来臨の意味は二つ。一つは初臨。二千年前、キリストが救い主として、私たちのために誕生されたこと。もう一つは再臨。キリストが真の王として、私たちを迎えに来られること。今回は、二千七百年前のイザヤのキリスト預言から、キリストの来臨を待ち望む態度を学びます。ということで、12月3日(日)の待降節第一週礼拝は、イザヤ書第7章1節〜17節から、「神の約束を信じて」と題してメッセージでした。

どんな危機の中でも

まず時代背景。今から三千年前に誕生したイスラエル王国は早くに北イスラエルと南ユダに分裂。北イスラエルの王は神様の言葉に従わず、南ユダの王は神様の言葉に従ったり従わなかったり。そして今回の中心人物、二千七百年前のアハズ王は神様の言葉に従わず。巨大化したアッスリヤが迫る中、隣国の北イスラエルとスリヤは対抗するため同盟を結び、南ユダも誘います。しかしアハズはお断り。そこで北イスラエルとスリヤは南ユダに傀儡を立てようとしますが成功しませんでした。アハズはなぜ断った?巨大アッスリヤに助けてもらおうとしたから。賢い?隣国にせよ、迫り来る巨大帝国にせよ、えげつなさは変わりません。私たちが生きる社会情勢はどうでしょうか。どの国も生き残りをかけてしのぎを削っています。大国傘下で同盟したり、互いを傀儡だと牽制し合ったり、国境周辺で小競り合いをしたり。手に持つ武器は様変わりしても、やっていることは昔も今も変わらないのではないでしょうか。

神様の言葉に信頼し

アハズは隣国の兵糧攻めにあった時の水源確保のため、とある水道を視察します。そこへイザヤがきて神様の言葉を告げます。「隣国を恐れるな。燃え尽きようとする切り株に過ぎない。隣国は攻め入ることはできず、北イスラエルは滅びる」と。さらにイザヤは息子シャル・ヤシュブを連れてきていました。名前の意味は「残りの者は帰ってくる」。王として国を守るために考え行動することは大切です。しかしそれと共にするべきことがあった。それが神様の言葉に従うこと。神様の言葉に従うなら将来がある。神様はそれを目で見てわかるように語りかけられました。私たちは目前に危機が迫っていたらどうするでしょうか?何とかしようとあたふたと立ち上がる?パニックになる?我を失う?まずするべきことがある。昔も今も変わらない。神様の言葉に信頼して従う。それが「気をつけて、静かにし、恐れない」態度です。神様の言葉に信頼して従うか、そうでないかで私たちの将来にも決定的な違いが生じるのです。

一つのしるしを求めつつ

神様は『あなたの神、主に一つのしるしを求めよ』となお語られます。しかしアハズは『わたしはそれを求めて、主を試みることをいたしません』と断ります。確かにモーセは『主を試みてはならない』と言いました。アハズはその言葉を守った?いえ。今から四千年前、神様はイスラエルの民をエジプトから導き出されました。しかし彼らは神様が共におられるのか?と不信を露わにし、不平を漏らし、モーセに水を求めました。共におられる神様に信頼し求めればいいだけなのに。アハズも同じ。四千年前のイスラエル放浪時代も、三千年前のイスラエル王国全盛時代も、二千七百年前の危機的状況の中でも神様は変わりなく共におられる。その神様が求めなさいと言われるなら求めればいい。頑なに拒否し続けるアハズに神様の方から『一つのしるし』を約束されます。それが『見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる』でした。インマヌエルとは「神様が私たちと共におられる」という意味です。これが後のイエス・キリストです。

北イスラエルはアッスリヤに滅ぼされ、結局南ユダもアッスリヤに攻め上げられ(やっぱりえげつない。目先の危機はしのげても本当の危機を招いた)、バビロンに捕囚にされ、ペルシャに開放され、なおギリシャ、ローマへと覇権が移り、「ローマの平和」という安定した時期を迎え、「すべての道はローマに通じる」インフラが整ったところにキリストは誕生します。イザヤら預言者の言葉はことごとく実現していきました。神様は世界の流れをことごとく見渡しておられ、神様に抗う人間の営みさえ利用して、救いの道を着々と準備されました。キリスト初臨から再臨までの神様の言葉もやがて実現します。神様の言葉の確かさは長い歴史を通して証明されてきました。私たちが生きる世界もアハズ時代の人々のように『風に動かされる林の木のように動揺』しています。しかし神様は昔も今も変わりなく、私たちに近づき、キリストを示して懇切丁寧に語りかけておられます。私たちはその言葉に信頼し、キリストを求めつつ、自分のすべきことに身を入れ、確かな一歩を踏み出すのです。それが「気をつけて、静かにし、恐れない」でキリスト来臨を待ち望む態度なのです。

12月10日(日)は待降節第二集礼拝。イザヤ書第9章1節〜7節から、「インマヌエルを信じて」と題してメッセージです。

 


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