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不可能を可能にされるイエス様

今週日曜日、月曜日とあちこちで成人式が行われました。礼拝でも青年祝福の時を持ちました。次代を担う青年が教会にあることを感謝します。しかし私たちを取り巻く社会は様々な意味で厳しさを増しています。将来は明るい!と言えないようにも思えます。何が青年祝福なんだと思えてしまいます…が、さにあらず!私たちには力ある御言の語りかけがあります。『イエスは言われた、「人にはできない事も、神にはできる」』。イエス様はどんな出来事の中でこの御言を語られたのか?ということで、1月7日(日)の礼拝は、ルカによる福音書第18章18節〜27節、第19章1節〜10節から、「不可能を可能にされるイエス様」と題してメッセージでした。

どんなに持っていても

まずは金持ちで、役人で、小さい頃から律法を守ってきた青年です。他の福音書から青年だとわかります。ある意味完璧な人、勝ち組、富裕層。地上で得られるものはほぼ持っていた。しかし彼に無いものがあった。ぜひ手に入れたいと望むものがあった。それが『永遠の生命』。彼は今持っているものを死の先まで持って行けないとわかっていました。じゃあ自分に何が残る?青年はイエス様に『よき師よ』と訪ね、『何をしたら』永遠の生命が得られるか尋ねます。イエス様は『持っているものをみな売り払って、貧しい人に分けてやりなさい。そして、わたしに従ってきなさい』。持ち物を売り払い貧しい人に分けるのは『天に宝』を持つため。イエス様に従うのは『永遠の生命』を得るため。青年が永遠生活においても富むためにイエス様は語られました。しかし青年は悲しみながらイエス様の視界から消えていきました。

どんなに嫌われても

次に取税人のかしらザアカイ。金持ちです。取税人は同胞から金を取り立てローマに貢ぎ私腹を肥やす『罪人』とみなされていました。ザアカイはそのかしら。ザアカイの住む町にイエス様が来られる!と人だかり。ザアカイは背が低く人だかりに遮られます(好かれていたら前へ通された?)。彼は木に登ってイエス様を待ち構えます(若かった?)。そこへイエス様『ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから』。ザアカイは『急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れ』ました。そして彼は誰に言われたわけでもないのにこう言います。『主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取り立てをしていましたら、それを四倍にして返します』。彼に不正の覚えはないようですがかしらです。部下が何をしているかわからない。当時不正返済は1.2倍返しでしたが4倍とは破格。おそらく財産の半分をそれにと考えたのでしょう。イエス様は『きょう、救いがこの家にきた』と言われました。

イエス様に従う

ザアカイは先の青年のように『永遠の生命』を求めたわけではありません。みんなから嫌われ、罪人扱いでした。でも財産を施すことをいとわなかった。『きょう、救いがこの家にきた』。それは「きょう、私(イエス様)がザアカイのうちに入った」「きょう、永遠の生命がザアカイのうちに宿った」と言うことです。イエス様こそ救い。永遠の生命。不可能を可能にされる神。イエス様に従うこともイエス様を喜んで迎え入れることも同じ。先の青年とザアカイの決定的な違いはこのイエス様に従ったかどうか、「よき師」ではなく「救い主」として迎え入れたかどうかなのです。私たちも同じ。地上でどんなに持っていても失われる。地上のどんなものを持ってしても永遠の生命は得られない。しかし、何も持っていなくても、どんなに嫌われていても、最悪でも、イエス様に従いさえすれば、そこに救いがあり、永遠の生命があり、喜びがあり、今まで変えられなかった人生さえ変えられるのです。

従う先に将来がある

先の青年もザアカイもイエス様に従ったら一文無し?二人のその後は聖書に記されませんが、イエス様は人から取り立てるようなケチなお方ではありません。与えてばかり。でも尽きない。真に富めるお方。イエス様にこそ従うべき。それは与えられるばかりだから?私たちが与えられたものを分かち合う者となるためです。富が集中し格差が広がるとやがて社会や国は立ちゆかなくなります。イエス様は私たちが得たものを、社会の底辺にある人々や社会的弱者・少数者(でも決して少数ではない)を支えるために活用しなさいと言われるのです。みんなが豊かになり、社会基盤が強くなり、与える人をも必ず豊かにしてくれます。そしてそれだけではなく、イエス様は「私に従いなさい」と言われます。それは一人一人が永遠の生命を得、朽ちない最大の資産「神の国」を受けつぐため。このイエス様にこそ私たちの永遠の祝福があるのです。

私たちは何に目を向け聞いているのでしょうか。不可能を可能にするイエス様とその御言にではないですか?きょう、そしてずっとイエス様を喜んで迎え入れ、従ってまいりましょう。永遠の生命を喜び、天の宝を楽しみにしつつ、イエス様の豊かさを分かち合ってまいりましょう。

1月14日(日)は、天授ヶ岡教会誕生の働き人ドロシー・エレン・ホーア師と福田八重師の記念礼拝。マタイによる福音書第5章13節〜16節から、「地の塩、世の光」と題してメッセージです。

 


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