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復活に向かっての生活

『兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである』。パウロは復活の問題の始めにこう記しました。福音は過去に一度信じればいいとか、死ぬ直前に信じればいいというものではなく、常に信じ続けるなら(現在進行形)、救いは今ある(現在完了形)、ということです。これまで復活の事実、復活への信仰と見てまいりました。今日は復活の事実と信仰に基づく生活、福音を信じ続ける生活を見ます。ということで、3月11日(日)の礼拝は、コリント人への第一の手紙第15章20節〜34節から、「復活に向かっての生活」と題してメッセージでした。

福音の過去・現在・未来を踏まえる

パウロは20節〜28節で、福音の壮大な歴史をコンパクトに記します。私たちの死は最初の人アダムによって入りました。アダムは神様に向かず聞かず従わなくなり、神様からの命と支配と愛が流れなくなりました。私たちは、神様から断絶し、的を外したアダムに連なって生まれてきました。ですから私たちも断絶したまま、的を外したままなのです。これが福音の過去。しかし神様は人が死ぬのをただ手をこまねいて見ておられただけではありません。神の子キリストを世に遣わされました。キリストこそ神様に向き続け聞き続け従い続けたお方。このキリストがアダム以来の死を一手に十字架で背負い、滅びの苦しみをただ一人味わわれ、『眠っている者の初穂』として復活された。当時イスラエルでは麦の収穫の時、最初に鎌を入れた麦(初穂)を神様に献げました。すると後の収穫も全て神様のものとみなされました。神様は、キリストという初穂を私の救い主と信じるなら、私もその死と復活に連なる者とされるのです。これが福音の現在。しかし今まで復活したのはキリストだけ。キリストが再び地上に来られる時、『キリストに属する者』が一斉に復活します。また人が肉体の死を迎えるように、この世も死を迎える時が来ます。その時、キリストはこの世の権威・権力を滅ぼして、万物を神様にお返しされる大団円を迎えます。これが福音の未来。私たちは生活や学びや仕事において、自分がいる持ち場立場をよくわきまえて、目標やビジョンを持って進むことが大切です。福音の過去・現在・未来を踏まえて、福音の大団円を楽しみに日々前進するのです。

神様に向いて聞いて従い続ける

29節〜34節には『死者のためのバプテスマ』が出てきます。福音を信じて死んだかどうかわからない人の代わりに、バプテスマを受けたらその人が復活するかも…というようなことです。聖書に出てくるのはここだけ。パウロは否定も肯定もしません。ただ復活を信じる人々の様子を言っている。復活を信じるのはパウロも同じ。パウロは福音を信じたかどうかわからないで死ぬことがないように、生きている人々に命懸けで福音を伝えました。そして何度も死にそうになりました。『わたしは日々死んでいる』。裏を返せば「わたしは日々復活して今日に至っている」と言うことです。本物の死は後からやってきますが、パウロは日々小さな死と復活を体験しながら生かされてきた。しかし復活がないなら、これほど愚かなことはありません。信念を曲げずエペソで獣と戦っても(当時の死刑方法の一つ)無駄死になだけ。なら『わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ』と誰かの言葉を引用します。死で終わりなら好き放題すればいい。神はいない。この世界も生命も偶然発生した。強い者が生き残るだけ。倫理なんて関係ない。やったもん勝ち!こういう人、世の中にたくさんいません?福音の過去・現在・未来とは違った歴史観を刷り込まれて、世の中は混沌としていない?『目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい』とパウロ。聖書は死ぬことを「眠る」、復活を「目ざめる」と表現します。「死で終わり」とは寝言のようなもの。違う!復活はある!目を覚ませ!「罪を犯さないように」するにはどうすればいい?「悪いことをしない」というよりも、キリストのように神様に向いて聞いて従い続けることが大切。そうすれば神様がよくわかってくる。パウロは、コリント教会の中に復活はないという人がいて、神様がわからなくなってきていることを指摘しました。

神様に向いて聞いて従い続ける。新約聖書的に言えばキリストに向いて聞いて従い続ける。すると神様の命と支配と愛が、キリストを通じて、私に流れ下る。福音を信じ続ける所に救いがある。パウロは自分のように危険に遭え!獣と戦うほどのガッツある信仰を持て!と言いたいのではありません。私たちの人生にも姿形は違っても日々小さな死や復活がある。自暴自棄になるのでも、禁欲主義や快楽主義に走るのでもなく、完全な復活という素晴らしい目標を楽しみに、今与えられている小さな復活の恵み、神様の命と支配と愛を喜び、楽しみ、分かち合ってまいりましょう。

3月18日(日)の礼拝は、コリント人への第一の手紙第15章35節〜58節から、「復活の勝利の姿」と題してメッセージです。

 


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