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本当の家族愛はどこに

今日は母の日。しかし家族のあり方が複雑化する今の時代、片親に感謝を表す、というよりも、今ある家族に感謝する、という教会も少なくありません。また教会は神の家族。今ある神の家族お互いにも感謝したいと思います。とは言え。いずれにしても感謝することに抵抗を感じる人はいませんか?感謝するようなことは何もしてもらっていない。逆にひどいことをされた。そんな相手がいないか?そんな場合どうすればいいのか?今日はイエス様の言葉から、本当の家族愛はどこにあるのか(愛とは何か?ではなく、どこにあるのか?)を知りたいと思います。ということで、5月13日(日)の礼拝は、マタイによる福音書第10章34節〜40節、第12章46節〜50節から、「本当の家族愛はどこに」という題でメッセージでした。

今は家族がわからなくなっている時代

第10章34節〜40節は理解しがたいことが記されています。イエス様は何てひどい方なんだと思えてしまいます。どんな犠牲を払ってでもイエス様を一番に愛さなければならない、ととれなくもありません。しかしイエス様はひどい社会になることを望んでおられるのでも、家族を犠牲にせよと言っておられるのでもありません。クリスチャンが家族から迫害を受ける時代が来ることを言われました。宗教的な違いや政治体制によって、また伝統的な慣習によって、クリスチャンが国や社会や家族から迫害される。意外かもしれませんが、今世界で最も迫害されているのはクリスチャンです。今のところ日本に宗教的迫害はありません。しかし、イエス様が言っておられるような状況が、クリスチャンでなくても、日本の家庭に姿を現しているのではないでしょうか。39節〜40節のイエス様の言葉を噛み砕いて言うならこうです。「目先の命を得ていると思う者は結局それを失う。しかし目先の命を一旦手放して私に学び直す者は本当の命を得る。私に学ぶあなた方を認める家族は私を信じたことになる。私を信じた者は命の源である父なる神を信じたのだ」。命を愛に置き換えます。「目先の愛を得ていると思う者は結局それを失う。しかし目先の愛を一旦手放して私に学び直す者は本当の愛を得る。私に学ぶあなた方を認める家族は私を信じたことになる。私を信じた者は愛の源である父なる神を信じたのだ」。迫害を恐れてイエス様を信じない?今の世の中、誰彼なしに同じようなことをしています。だからこそ、なおさら、私たちはイエス様を信じるべきです。そして家族愛を知って家族を回復するために、まず自分が神の家族とされ、イエス様に学び始めることが必要なのです。

神の家族とされることから始める

第12章46節〜50節にはイエス様の家族(マリヤたち)が登場します。イエス様はこう言われます。『わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか。…ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである』。マリヤたちに何だかつれない?いえ。マリヤたちはもちろん、赤の他人さえ、『父のみこころを行う者はだれでも』イエス様の家族とされるのです。今、様々な依存症が言われます。しかし「〇〇依存」とはっきりしなくとも、家庭や学校や職場の人間関係に依存的な問題が潜んでいます。ハラスメントやいじめや虐待も、依存的な関係性の問題と見ることもできます。意外にも強い立場が弱い立場に依存している。この根本原因は何か?本当に依存すべき、健全で安心な相手を見失っているからです。その代わりを求めている。でも依存の仕方も相手も間違っている。だから満足できない。問題の解決を見ないのです。依存すべき根本的な存在は父なる神様です。そして父なる神様と私のパイプ役が御子イエス様です。どうやって神の家族になるか?イエス様を自分の救い主と信じてバプテスマを受けること。それが『父のみこころを行う』初めです。バプテスマは第二の誕生です。生まれるのに生まれる側にあれこれ条件はありません。『だれでも』です。私たちはつい「あの人はどうなのか」「誰も私に何もしてくれない」と他人に意識が行きがちです。しかし問題の解決も愛の行為も、他の誰でもない、自分から始まるのです。今までの自分を取り巻くあらゆる関係を一旦手放し、バプテスマによって仕切り直し、本当に依存すべき父なる神の家族とされ、御子イエス様に学び直し、学んだことを行動していくのです。

家族は最初から家族なのではありません。家族になっていくのです。イエス様は罪の泥沼でもがき苦しむ私たちを何とか救い出し、自分の家族にしようと身を挺して十字架の愛を差し出されました。父なる神様もその十字架にすがる人はだれでも引き上げて、自分の懐に迎え入れて下さるのです。この神の親子に本当の家族愛があるのです。

5月20日(日)はペンテコステ礼拝。マルコによる福音書第1章9節〜11節から、「バプテスマの恵み」と題してメッセージです。


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