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蒔いたものの刈り取り

今日は『ヤコブの子孫は次のとおりである』という言葉で、ヨセフの夢物語から始まります。この『子孫』は『系図』と同じ言葉。創世記は『アダムの系図は次のとおりである』『ノアの系図は次のとおりである』『アブラハムの子イサクの系図は次のとおりである』と、その子孫の名前と共に、アダムの物語、ノアの物語、イサクの物語と、次々記してきました。しかし今回は、いきなりヨセフの物語が始まったように見えます。しかし、実はこれからもヤコブの物語。ではヤコブの何を見るのか?ということで7月1日(日)の礼拝は、創世記第37章1節〜36節から、「蒔いたものの刈り取り」と題してメッセージでした。

ヤコブの偏愛

ヨセフはヤコブにとって『年寄り子』。後の聖書の記述からヤコブ91歳の時生まれた子だとわかります。ヤコブはヨセフに『長そでの着物』を作りました。それは族長ヤコブの権威を示すもの。跡継ぎ待遇。ヨセフの10人の兄たちは「俺たちを差し置いてなんで!」と耐えがたい怒りを抱いたのではないか。しかしヤコブにもかつてこれと似たようなことがありました。イサクはエサウを愛し、リベカはヤコブを愛しました。そしてヤコブはエサウの長子の特権も祝福も奪いました。ヨセフが兄たちの特権も祝福も奪ったわけではありません。しかしヤコブは自分がされたようにヨセフを愛し、自分がしたようにヨセフにしてあげたのです。恐らくヤコブは無自覚でした。しかしこの偏愛と善意は、他の兄たちにとっては憎しみと怒りを生み出すものとなり、家族に暗い影を落としていたのです。

兄弟間の軋轢

ヨセフは二つの夢を見ました。象徴的な形でしたがヨセフを家族が拝んでいる夢。兄たちの憎しみ怒りは倍増!しかしその兄たちにも微妙な力関係があったようです。羊の世話をしていた兄たちの所へ『夢見る』ヨセフがやって来た時、ヨセフを殺すか売り飛ばすか相談しました。長男ルベンが殺さず穴に投げ入れるだけの提案をします。後でヤコブに返そうと考えました。しかしルベンがいない間に、四男ユダが「殺しても益にはならない。イシマエル人(親戚)に売ろう!」と提案してみな承諾。ヨセフは売られました。長男ルベンはスキャンダル。次男シメオンと三男レビはシケムで大虐殺。それもあって四男ユダがリーダーシップ?しかしそのユダもヨセフを売り飛ばす。そして全員でヤコブを騙しました。えげつない!しかしヤコブはかつて「騙す人」でした。スキャンダルや虐殺はありませんでしたが、ラバンの財産を巧妙に奪い、正しさを主張しました。妻ラケルもヤコブにならい、ラバンのテラピムを奪いました。彼らの周りには憎しみや怒りや争いが絶えなかった。ヤコブは家族に、意識して神様や信仰や正しさを教えたかも知れません。しかしヤコブが意識しないでやってきた行為や姿が、家族に暗い影を落としていたのです。

ヨセフの喪失

兄たちはヤコブに「ヨセフは死んだ」と言いません。そう思わせました。親譲りの巧妙さ!家族は悲嘆に暮れるヤコブを慰めましたが、兄たちはどんな顔をして慰めたのか。そんな慰めは何の足しにもなりませ。しかしヤコブもかつて同じようなことをしていました。『長子エサウの晴れ着』と『子ヤギの皮』をもって父イサクを騙し兄エサウの祝福を奪った。今回、兄たちは『長そでの着物』と『雄やぎの血』で父ヤコブを騙しヨセフの命をヤコブの前から奪ったのです。今日のメッセージは「蒔いたものの刈り取り」。「ヤコブ!お前は今までこんな悪いことをしてきたから同じ目に遭いなさい!」と神様が報いておられるのではありません。ヤコブは神様に変えられてきました。しかしそれでも気づかないで、人生かけてこつこつ蒔いてきた、自分の弱さ強さ愚かさがある。その行為の結果を味わっている。でも無意識ゆえに「なぜこんな目に遭うんだ!」と唐突に思える。意図しないトラブルに思える。でも自分の行為の積み重ねの上にある。私たちは神様に救われ、意識して、注意深く、人生を積み上げても、全てカバーできません。無意識による行為も大きな影響を与えます。しかし恐れないで下さい。私が蒔いたトラブルさえ祝福の道具に変えられる神様に向いて聞いて従い続けるのです。その中で善意の行為が裏返しの行為になっていないか点検し、無意識の行為を聖書の光に当てて意識化し改め、刈り取りの責任を果たす。私たちが十字架につけたイエス様によって、私たちに救いと祝福をもたらされた神様です。間違いに気づけば悔い・改めればいいのです。

7月8日(日)の礼拝は、創世記第38章1節〜30節から、「ヤコブのもう一つの歴史。ユダ」と題してメッセージです。


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