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大いに愛せられる人

年長者のこれまでの信仰と歩みに敬意を表し、祝福が増し加わることを祈ります。そして神様の御前に集った私たち全員の信仰と歩みを感謝し、この交わりを喜び合い、共に祝福にあずかり続けるよう祈ります。そこでダニエルという人の生涯から、変わらぬ神様に、変わらぬ信仰を持ち続けて生きる姿を学びたいと思います。ということで、9月16日(日)の年長者祝福カフェスタイル礼拝は、ダニエル書から「神に愛せられる人」と題してメッセージでした。

信じ続ける

北イスラエルがすでに滅び、南ユダも大国バビロンの前に風前の灯火となっていた頃、南ユダの王族だった若者ダニエルは、3人の友人とバビロンに連れて行かれ、ネブカデネザルの食事で養われることになりました。弱小国家の若者を大帝国が最大のもてなしで養うというのです。しかしダニエルたちは信仰上の理由で断ります。ただ断るだけではなく「野菜(「種」という言葉でもある)と水」で試してみてほしいと提案。結果は他の若者たちの健康に勝りました。聖書はここから「野菜と水だけを食しなさい」と言いたいのではありません。ダニエルたちの信仰の姿を言いたい。どんなに若くても、どんなに小さく弱い国の出身でも、相手がどんなに強大であっても、変わらぬ信仰が貫くのです。

告白し続ける

今度は3人の友人のエピソード。ネブカデネザルはダニエルを信頼し、ダニエルの神様を賞賛もしますが相変わらずな面も。巨大な金の像を立て、それを拝まない者は燃える炉の中に投げ込むと言うのです。3人の友人たちは金の像を拝まず密告されます。王の前に連行された彼らは告白します。『ネブカデネザルよ…もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません』。王は怒り狂い、火を7倍にして彼らを投げ込みますが、炉の中には4人。王はその1人を『神の子のようだ』と表現します。王が彼らを呼び出すと、3人が無傷で出てきました。聖書はここから「こんな告白があれば、こんな奇跡が起こる」と言いたいのではありません。3人の告白の姿を言いたい。神様を信じていても災難に遭うことがある。面倒な人に仕えなくてはならないこともある。しかしどんな状況でも、誰に仕えようと変わらぬ信仰と告白が貫くのです。

祈り続ける

ダニエルは約80年にわたって何人もの王に仕え、バビロンもペルシャに変わりました。晩年はダリヨスに仕えます。ダニエルは歴代の王に信頼され用いられますが、周りから妬まれました。妬む者たちは王に「30日間、王にのみ願い事をし、それ以外の神や人に願い事をするなら、ししの穴に投げ入れる」という法律を出させます。その法律を知ったダニエルは、家に帰り、今まで通り窓を開け放ち、膝をついて神様に祈り、感謝を献げました。妬む者たちはその習慣を知っていて王に密告。王はダニエルがそんなことになると思いもよらず、何とかしようと東奔西走。しかし何ともならずダニエルをししの穴に。眠れぬ夜を明かしダニエルの元へ。すると全く無傷で生きている。王は大喜びでダニエルを引き上げ、妬む者をししの穴へ投げ込み、新しい法律で悪しき法律を解きました。聖書はここから「こんな祈りがあれば、こんな奇跡が起こる」と言いたいのではありません。そんなこともあります。しかしそれ以上に、ダニエルの祈りの姿を言いたい。どんなに若くとも、老いても、なんにん・なんびとに仕えようと、どんな状況でも、変わらぬ信仰と告白と祈りが貫くのです。

聖書はダニエルを『あなたは大いに愛せられている者』『大いに愛せられる人ダニエル』『大いに愛せられる人よ』と繰り返します。神様は同じように私たちも愛しておられる。炉の中で3人に付き添った『神の子』のように神の子キリストが共におられる。全時代、全世界を貫いて、私たちを愛し、共にいて下さるのです。『ダニエルよ、あなたの道を行きなさい』『終りまであなたの道を行きなさい』という『あなたの道』は、この神様に向いて聞いて従い続ける「私たちの道」、信じ告白し祈り続ける「私たちの道」でもあるのです。

9月23日(日)の礼拝は、創世記第43章1節〜34節から、「救いに向かうそれぞれの自覚」と題してメッセージです。


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