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感謝を忘れずに

世の中の景色は、ハロウィーン、クリスマス、年末年始と忙しく切り替わっていきます。教会はどうか。ある方がこう言われました。「クリスマスは12月25日だけではありません。毎日がクリスマス。毎日イエス様が私の内に来られ、毎日私を救って下さるのです」。そうであれば、毎日がイースターとペンテコステとも言えます。毎日復活の恵みと聖霊の恵みに与っているからです。そう思えば毎日がワクワク。毎日が感謝。それぞれに1年を振り返って感謝を献げたいと思いますが、イエス様誕生後のマリヤの姿を通して、感謝の大切さを知りたいと思います。ということで、12月30日(日)の年末感謝礼拝は、ルカによる福音書第2章21節〜39節から、「感謝を忘れずに」と題してメッセージでした。

心に留めて思いめぐらす

聖書はマリヤについて『思い巡らしていた』『ことごとく心に留めて、思いめぐらしていた』『これらの事をみな心に留めていた』と記します。当時ユダヤの子どもは家で聖書の教えや物語を聞いて育ちました。少し大きくなると、男の子は会堂で聖書を教科書に、律法学者を先生に、聞いて学びました。しかし女の子は家事手伝い。マリヤはまだ十代。シナゴグにも行っていなかったと考えられます。それでも彼女は「マリヤの賛歌」をうたい、優れた聖書理解と確かな信仰を示しました。彼女はとにかく神様の言葉をよく聞き、身に降りかかる様々な出来事を心に留め、思い巡らし続けました。それが信じられないようなことでも、受け入れがたいことでもです。それは私たちも同じ。礼拝で神の言葉の語りかけを聞き、毎日様々な出来事が起こります。良いと思えることも悪いと思えることもある。なぜ神様はそう語りかけるのか?なぜこのようなことが起こったのか?心に留めて思い巡らし続けるのです。

感謝を献げる

ユダヤ社会では、お母さんが出産してから7日間は「けがれ」の状態です。男の子の場合、8日目に割礼を施し、その頃に名前をつけます。そして出産後40日で「きよめの期間」があけ、エルサレム神殿に上りました。「けがれ」は「汚い」とか「悪い」を意味しません。母体を守って、お母さんの体調が回復するための大切な期間。その期間がすんでヨセフとマリヤは神殿で鳩を犠牲として献げました。普通は羊と鳩。彼らが貧しかったことを示します。イエス様誕生に関して、この夫婦にとってはヤキモキすることや命の危険を感じることも多々ありました。しかし感謝を忘れない。具体的な形で感謝を献げました。それは私たちも同じ。不平不満はめざとく見つけやすいし言いやすい?無意識でも言える?感謝はどうか?神様の言葉と様々な出来事を心に留めて思い巡らすと共に、私たちも会堂に集い、共に集まり、賛美と祈りと献金などの具体的な形で感謝を献げるのです。

次なるみわざが見えてくる

ここでシメオンとアンナという模範的な老信仰者が登場します。シメオンはマリヤに、イエス様がどんな人になるのか、マリヤにもどんなことが起こるのか、預言めいたことを語ります。アンナもまた人々にエルサレムにもたらされる救いを語ります。去りゆく者と新しくやって来た者との出会い。古い世界と新しい世界の転換点。ユダヤ教の世界からキリストの世界への引き継ぎ。マリヤはこのことも心に留めて思い巡らしたでしょう。そしてイエス様が成長し、数々の奇跡をなし、人々が驚嘆し、律法学者が反目し、ローマをも巻き込んだ十字架の死と復活、昇天、聖霊降臨、教会誕生を、マリヤは当事者として目の当たりにしていきます。マリヤは生涯をかけて、神様の言葉と、様々な出来事と、思い巡らしていたことが、次々につながっていったのです。それは私たちも同じ。すぐに答えがわからないことがある。いやわからないことの方が多い。それでも神様に信頼する。感謝を忘れない。すると過去が紐解けてくる。未来が開けてくる。神様のわざが進み広がっていく。やがて我が人生を振り返る時、全てがつながるのです。

私たちは様々なことを神様に願います。しかし人生には予想だにしない展開があります。どんな展開になっても、神様に信頼し、感謝を献げる。その生き方は変わらない。神様の御言葉とご計画は、いつだって私たちの願いや喜びをはるかに越えるもの。そここそ変わらない。だから、2018年を大切に心に留めて思い巡らし、神様に感謝を献げ期待しつつ、新年をお迎えいたしましょう。

1月1日(火)は元旦礼拝。マタイによる福音書第7章24節〜27節から、「御言葉を土台に」と題してメッセージです。


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