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喜びの相乗効果

「喜びは分かち合うと増え、悲しみは分かち合うと減っていきます」。そんなことを聞いたことがあります。喜び相乗効果と悲しみの相殺効果。今回の聖書の箇所には喜びの相乗効果が記されています。ということで、2月3日(日)の礼拝は、コリント人への第二の手紙第7章5節〜16節から、「喜びの相乗効果」と題してメッセージでした。

悔い改めに喜びがある

問題だらけで問題がこじれたコリント教会。しかし変化が現れた!それが悔い改め。個人だけではなく教会全体が悔い改めた。私たちはどうでしょう。問題を指摘されても認めず逆に相手を責めないか?他人の問題だからと無関心でいないか?問題を指摘されて悔やんでばかりいないか?問題のある人を攻撃するだけで後は放ったらかしにしていないか?「自分は正しい!」と主張する互いの関係はギスギスするばかり。問題は尽きません。「私が悪いのです。どうすればいいか教えて下さい」「いえ無関心だった私こそ悪いんです。何か手伝えるかしら?」という互いの関係には慰めと助け合いと前進があるのではないでしょうか。ここで肝心なのは、教会全体が問題を認め(悔い)神様に向き直り聞き直し従い直した(改める)こと。教会に与えられている宝、軽い患難を重い栄光に変える神の力、死を肥やしに命を生み出すキリストの救いは、悔い改める姿にこそ現れる。攻撃し悲しみ傷つき消えていくのではなく、悔い改めて命を吹き返し助け合い喜びがあふれていくのです。

働き人に喜びがある

パウロの手紙をコリント教会に運んだテトスに喜びがあふれました。パウロはこの第二の手紙の前に「涙の手紙」を記しテトスに託しました。その時、テトスにコリント教会のことを少し誇りました。しかしテトスは「なぜ問題だらけなのに、なぜパウロを閉め出そうとしているのに、コリント教会を誇るのか?」と半信半疑だったようです。しかしその手紙を読んで悔い改め始めたコリント教会を目の当たりにして、テトスに大きな感動が芽生えました。働き人の心には教会が刻まれています。働き人は教会がまだ気づかない問題や認めない問題とその悲しみや苦しみを先に知っていることもあります(だからパウロは手紙を記すわけです)。働き人は時に教会にも勝って苦しみや悲しみを共有する。だから一転、喜びも大きいのです。悔い改めには癒やしがある。キリストの死と命が働くから。そして慰めと喜びがある。テトスの心にもそれは響いたのです。パウロがテトスに誇ったことは真実になりました。テトスはコリント教会になお協力したいと一層心を寄せるようになったのです。

諸教会にも喜びがある

この喜びはコリント教会やテトス、パウロにとどまりません。パウロはコリント教会への手紙をエペソやマケドニヤで記します。そこにはエペソ教会やピリピ教会、テサロニケ教会がありました。パウロは『少しの休みもなく、外に患難と戦い、内に憂いがあって、うちしおれていた』と記しますが、それは諸教会を取り巻く状況でもありました。どの教会も異教社会の中でマイノリティです。様々な問題に直面していました。しかしコリント教会の朗報を聞いて、『わたしたちは慰められた』『わたしたちはなおいっそう喜んだ』のです。コリント教会は当時の先進的なモデル教会です。良い模範、成功の模範、格好のいい模範、失敗のない模範ではありません。問題があり、失敗があり、悔い改めがある、回復と成長の歩みを始めた、問題を乗り越えようとするモデル教会です。周囲で苦闘し、善戦する諸教会にとって、それは測り知れない慰めと喜びとなったのです。

悔い改めは恥ずべきこと、隠すべきことではありません。悔い改めにこそ癒し、慰め、喜びがある。諸教会全体の大きな財産になる。日本の教会にこの財産が豊かにあるでしょうか。教会は神の家族。誰も敵ではない。悔い改めは誰をも失わない。悔い改めに始まる問題を乗り越える教会の姿にこそ、キリストの体としての証し、宣教の力があるのです。

2月10日(日)の礼拝は、コリント人への第二の手紙第8章1節〜15節から、「恵みの相乗効果」と題してメッセージです。


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