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和解の祝福

創世記も最後。創世記は天地創造に始まる神様の祝福の歴史。そして神様が人を祝福するために一生懸命人に向き合われた歴史。人が神様に向いて聞いて従う時、祝福はその人に流れ、周りに広がる。人が神ならぬ者に向いて聞いて従う時、人から祝福を奪うようになり、呪いを招く。そんな人をなお祝福するために、神様の方から歩み寄り、和解の方法を示される。そういうことが第1章から第50章までを味わうことで、神様と人の物語がくり返される中で、見えてきました。そのフィナーレです。ということで、3月31日(日)の礼拝は、創世記第50章1節〜26節から、「和解の祝福」と題してメッセージでした。

帰るべき所に帰る

ヤコブはカナンのアブラハムが購入した墓地に、自分の亡骸を葬るよう、ヨセフに誓わせました。ヨセフはそれを実行しました。エジプトからカナンまで約2週間かかります。エジプトの防腐処理技術が用いられました。ヨセフと兄弟たち、エジプトの高官たちも共に、行列をなして目的地に向かいました。墓はヨルダン川の西側。しかしヨルダン川の東側に回り込んで、ヨルダン川を渡って墓に到着。最短で行けば東側に回り込む必要はありません。なぜ回り込んだか?理由は記されません。しかし後の出来事と重なってきます。約400年後、イスラエルの民がエジプト脱出後、同じ道を辿るのです。アブラハムは故郷に帰らず、飢饉で身を寄せたエジプトにも居座らず、カナンに戻った。イサクもお嫁さん探しに故郷に戻らず、飢饉で身を寄せたエジプトに居座らず、カナンに戻った。ヤコブもエサウを逃れラバンの元に身を寄せますが居座らず、飢饉で身を寄せたエジプトにも居座らず、遺体をカナンに運ばせた。ヨセフもそう。イスラエル(ヤコブ)の辿った道をイスラエル(の民)は、ヨセフの遺体を運んでカナンに入った。みんな神様の約束を信じて帰るべき所に帰ろうとした。私たちも同じ。神様の約束がある。祝福がある。新しい天と地がある。だから私たちも、この地上にある間、祝福の源、約束の実現者、信仰の導き手である神様に、いつも帰り続け、いつも共に立ち続けるのです。

和解できる内に和解する

葬儀の後、ヨセフの兄たちは一つのことを恐れました。ヨセフが仕返しするのではないか。かつて、ヤコブが兄エサウの祝福を奪った時、エサウは父イサクの葬儀の後にヤコブを殺そうと考えました。ヨセフの兄たちは、父の言葉を借りて、人を通して赦罪の申し入れをします。それを聞いたヨセフは泣きました。「なんてせこい兄たちだ。父が言ったかどうかもわからない言葉を引き合いに出して。面と向かっても言い出せない。情けない!私のことを何もわかっちゃいない」と思っての涙ではありません。『わたしはあなたがたとあなたがたの子どもたちを養いましょう』とは、イスラエルの家長として果たすべき責任を果たすと言うことです。『彼らを慰め、親切に語った』とは、「彼らをあわれみ、彼らの心に語った」と言うことです。ヨセフは本当に兄たちを赦していた。ヨセフは『わたしが神に代わることができましょうか』と言いますが、彼の涙は神様の心を見事にあらわしていました。ヤコブもエサウと仲直りしました。ヨセフの兄たちもこのままではいけないと思った。そしてヨセフの前にひれ伏した。これは「あなたの奴隷になります」との意思表明。しかし彼らはヨセフの奴隷にはなれなかった。兄弟として回復されたのです。私たちも同じ。神様に向かず聞かず従わず様々な罪を犯してきた。それでも神様は和解の使者イエス様を送られた。なのにイエス様に悪を働いた。それが十字架。なのにその十字架が私たちを赦し救い祝福する十字架となった。私たちがその和解のプレゼントをいただく時、神の家族、イエス様の兄弟姉妹として回復される。

今、しこりのある人間関係はないか?「赦せない」「赦してもらいたい」という人間関係はないか?神様は、私たちが理不尽だと思っていることや、本当は向き合うべきなのに疎かにしていることを放ってはおかれない。必ず取り扱われます。それは私たちを断罪して滅ぼすためではなく、救い出して祝福するため。祝福を多くの人と分かち合うため。共に約束の地に与るためです。『あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました』。だから私たちも、この地上にある間、神様から私、私から隣人へ、和解の務めに勤しみ続けるのです。

キリスト教は「和解の福音」と言われます。それが創世記からヨハネの黙示録に至る物語。しかしそのミニチュア(ひながた)を創世記に見ることができるのです。4月7日(日)の礼拝は、詩篇第1篇1節〜6節から、「幸い。主のおきてを喜び楽しむ」と題してメッセージです。


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