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閉じることのない救いの手

棕櫚の主日。イエス様が金曜日に十字架にかかられる前の日曜日。人々は棕櫚のの枝を手にして『ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に』と大歓迎しました。しかし金曜日には「十字架につけよ!」と叫び、イエス様を十字架につけてしまいました。イエス様の十字架の苦しみはどんなものだったのか?誰のためだったのか?何のためだったのか?ということで、4月14日(日)の棕櫚の主日礼拝は、ルカによる福音書第23章39節〜43節から、「閉じることのない救いの手」と題してメッセージでした。

閉じることのないゆるしの手

『 父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』。イエス様の「十字架の七言」最初の言葉。これがイエス様の十字架の目的。父なる神様に『彼ら』をゆるしておらうこと。では『彼ら』とは一体誰か?この後登場する、イエス様の十字架を取り囲む人物は、『民衆』『役人』『兵卒』。そして一緒に十字架につけられた『犯罪人』です。イエス様を十字架につけたのは、政治家や聖職者、軍隊、そして扇動された一般民衆。犯罪人がイエス様を十字架につけたのではありません。いわゆる「悪いやつ」キャラはいない。でもイエス様を馬鹿にし、あざ笑い、ののしった。イエス様の体には無数の傷がありました。およそ人間が受ける傷を全て受けられたといわれます。半端ない傷。そして罵詈雑言を浴びられた。言葉は魂までもえぐります。人々は自らの罪のトゲ、罪の槍を、これでもか、これでもか、これでもか!と突き刺した。それでも『父よ、彼らをおゆるしください』。イエス様は両手を広げ、体を開き、十字架に釘づけられた。おりて逃げ出すことも、自分の身を守ることも、やり返すこともできない。『彼ら』とは、そこにいた人たちも含めた私たちみんなです。『彼ら』から漏れる人はいない。「彼らの罪、彼らの罪の傷を、私が受け取ります。その報いを私が受けきります。だから、彼らをゆるしてください」。人々が「お前が神の子なら自分を救え!十字架からおりてみろ!」と言うままに、イエス様がここで十字架からおりたなら、『彼ら』のゆるしは実現しなかった。私たちみんなの救いは実現しなかったのです。ではゆるしが実現したのなら、私たちは何をしていても、自動的にゆるされるのか?

その手に飛び込み救われる

十字架につけられた犯罪人は2人。1人はイエス様を『あなたはキリストではないか。それなら自分を救い、またわれわれも救ってみよ』とののしりました。彼の言葉通りに、イエス様が十字架から彼をおろされたら彼はどうする?彼の人生は変わる?十字架からおりられても救いにはならない。もう1人はののしる犯罪人をたしなめました。『 お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ(お互いは自分のしたことを取り返している。それは正しいことだ)』。そして『イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には(あなたの王国に入られる時には)、わたしを思い出してください』。イエス様を十字架につけた人々はイエス様の名を決して呼びません。しかし彼は呼んだ。人々は「お前はキリストと違うんかい!」とあざけりましたが、彼はイエス様が神の国の王であることを認めました。そして「こんな私がいたことをせめて思い出して下さい」と救いを求めたのです。砕かれた魂がここにある。イエス様は即座に言われます。 『よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいる』。パラダイスがどこかは大した問題ではありません。ここで最も大切なのは『わたしと一緒にいる』こと。臨在こそ救い。死の向こうもイエス様と共にあることが救いなのです。彼も十字架で身動きできなかった。死を待つだけだった。やり直せなかった。取り返しのつかない人生だった。でも彼の救い主がイエス様であることを精一杯告白した時、彼の罪はゆるされ救われた。先にある永遠の人生を取り返した。イエス様と彼とはお互い十字架に釘づけられていました。それでも彼は、その告白によってイエス様の御手に飛び込み、イエス様は彼を抱きしめられたのです。歴史に「もし」はないと言われますが、もし彼が地上で人生をやり直せるとしたら全うに生きたでしょう。なぜなら彼にはイエス様がいて下さるからです。

私たちはみな、それぞれがイエス様の懐に飛び込む必要があります。そこに救いがある。そこがみんなの帰るべき所。罪とはそもそも的外れ。みんな的に戻る必要がある。そうすれば救いに漏れる人はいない。しかし飛び込まないなら、自分のしたことを取り返すことになる。永遠の人生を失うことになる。私たちは今、永遠の人生を取り返して、イエス様と一緒に喜び楽しんで、歩み続けるべきではないでしょうか。

4月21日(日)はイースター召天者記念礼拝。ルカによる福音書第16章19節〜31節から、「ご先祖様の思い」と題してメッセージです。


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