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幸い。主に聞いて従う

私たちは自由が大好きです。いろんな自由を叫び、主張し、要求します。自由のためには人を傷つけ、血を流し、命を奪うこともあります。人によっては「その自由に賛成です」と言えることもあれば、「それはちょっと行き過ぎではないですか」と躊躇してしまうこともあるのではないでしょうか。しかし私たちはどんな基準でそう考えるのでしょうか。「神は存在せず、全ては偶然の産物で、強い者だけが生き残り、死んだら終わり」という価値観なら、善悪もモラルも必要なく、何でもあり、何でも自由のはず。しかし「何でも自由だ」と言うには少なからず抵抗を感じるのはなぜか?ということで、6月2日(日)の礼拝は、詩篇第2篇1節〜12節から、「幸い。主に聞いて従う」と題してメッセージでした。

自由を叫ぶ地の王たち

第1篇では「悪しき者」と「正しい者」が対比されていました。第2篇では「地の王たち」と「油そそがれた者(メシヤ)」が対比されています。前者は『むなしい事(からっぽ)をたくらむ(くちずさむ)』とあります。そして地の王たちの『立ち構え』『はかり』『主とその油そそがれた者とに逆らって』という三段階が記されます。そして『主とその油そそがれた者』がみんなの自由を奪っている、奴隷状態にしている、だからその『かせをこわし、かれらのきずな(なわ)を解き捨てる』と叫ぶのです。自由への叫びです。第1篇では正しい者は『主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う(くちずさむ)』とありました。かたや悪しき者は「もみがら」にたとえられていました。中身がない。また「悪しき者」は「罪人」に、「罪人」は「あざける者」に、という三段階が記されています。いずれも第二篇の「地の王たち」と重なります。

自由の子であるメシヤ

地の王たちの叫びに対して『天に座する者は笑い、主は彼らをあざけられる』。立ち構えて自由を主張する地の王たちとは対照的。神様は彼らに対してメシヤを立てられます。メシヤとは神様に向く人々の中から神様が王とした者。油そそぐとはその任命を意味します。そのメシヤに神様は『おまえはわたしの子だ』と宣言されます。人間だけれども神の子。それは自由の子を意味します。自由を叫ばなくても自由。神様との関係は奴隷関係ではなく親子関係。自由と遺産全ての相続者。そのメシヤは『鉄のつえをもって彼ら(地の王たち)を打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕く』ために立てられました。実は自由を叫ぶ「地の王たち」こそ人々から自由を奪い、奴隷にし、搾り取り、奪い取る者。器物のように中身が空っぽ。その空洞を満たすために彼らは人から奪うのです。そんな偽物の自由を叫ぶ支配を打ち砕き、私たちを解放するのがメシヤなのです。

私たちは主(メシヤ)に聞いて従う

『それゆえ、もろもろの王よ、賢くあれ、地のつかさらよ、戒めをうけよ。恐れをもって主に仕え、おののきをもってその足に口づけせよ。さもないと主は怒って、あなたがたを道で滅ぼされる』。結局神様にビクビクして仕えるなんて奴隷と同じ?ここはこう訳せます。「もろもろの王よ、悟って成功せよ。地のつかさらよ、教えられて訓練されよ。畏敬の念を持って主に仕え、驚き喜んで口づけせよ」。神様が彼らを怒られるのは、彼らが神様に向かないで、求めないで、人々から自由を奪い、奴隷にし、食い物にしているからです。第1篇の「悪しき者」が自ら滅びの道を進むように彼らも同じ道を進んでいるのです。しかし神様は彼らさえ滅んでほしくない。だからメシヤに向いて聞いて従って、本当の王とは何か、支配とは何か、自由とは何かを学ぶように呼びかけておられるのです。

ではメシヤとは誰か。ダビデをはじめ、油そそがれた王は他にもいます。しかし本命はイエス様。神の子にして人。神様はイエス様に対して『あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者』と宣言されました。イエス様は常に神様に向いて求められました。そして人々を癒し、解放し、教えられました。イエス様は十字架の死と復活を持って、罪と死を打ち砕く救いを用意されました。このイエス様に私たちの自由(自らのわけ)がある。だからイエス様から外れる自由に私たちは違和感を覚えるのです。このイエス様を私のメシヤとして迎え入れる時、私も神の子とされ、永遠の命が与えられ、復活の体と新しい天地までいただける。罪と死からの解放と大いなる相続をイエス様と共にいただける。従うとは隷属を意味しません。みんな好きな人や憧れの人に積極的に喜んで聞いて従っているはずです。私たちはイエス様に向いて聞いて従って自由を学び、あらゆる営みに自由を取り戻していくのです。そこに本当の喜びや楽しみもある。「主のおきてを喜ぶ者」「主に寄り頼む者」は幸いなのです。

6月9日(日)はペンテコステ礼拝。ガラテヤ人への手紙第5章16節〜24節から、「御霊の実」と題してメッセージです。


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