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繰り返しの中で近づく再臨

待降節には、イエス様が二千年前に赤ちゃんとして誕生された初臨と、王様としてこの世界に再び来られる再臨という、二つの待ち望みがあります。過去のイエス様のご降誕に思いを馳せながらクリスマスを楽しみにすると共に、これから起こる再臨にも思いを馳せて整えられたい。ということで、12月1日(日)の待降節第一週礼拝は、マタイによる福音書第24章1節〜31節から、「繰り返しの中で近づく再臨」と題してメッセージでした。

にせキリストが現れる 4-5、11、23-26、30-31節

今日の箇所は、イエス様が再臨される前にどんな事が起こるのか、イエス様ご自身が語っておられます。そして『すべてこれらは産みの苦しみのはじめである』と言われます。誕生自体は喜ばしいことです。しかしそれまでが大変。どんな大変があるのか?一つはにせキリストが現れるということです。イエス様が天に上られてから現在に至るまで世界中で、にせキリストは現れては消えてきました。どこからともなく現れ、「我こそキリスト」と旗を揚げ、人々が群がり、その人々から財産や労働力を奪い、私腹を肥やし、いつの間にか死んでいる。同じパターンの繰り返し。しかしイエス様の再臨は一部の人にしか分からないなんてことはありません。誰が見ても明らか。どこにいても明らか。全世界に明らかになるのです。

憎悪と争いが絶えない 7、9-10、12節

かつて大国の利害が衝突し2度の世界戦争がありました。その後、民族や地域紛争に姿を変え、今や規模も場所も問わないテロという形に姿を変えています。日本も例外ではありません。民間人による毒物や毒ガスによる無差別大量殺人によってテロ先進国とさえ言われます。また武器の所持は許されていなくとも凄惨な事件はたえません。家族や学校、職場や地域といったより身近な関係の中で起こる痛ましい犯罪も繰り返されます。誰も信じられない。愛がわからない。私たちは、とにかく自分さえ良ければいいという、生き残りをかけたサバイバーになりつつあるのではないでしょうか。

災害が頻発する 7節

人類は天候の変化に強い作物の品種改良や農薬の開発、畜産や養殖技術の進歩で、食糧難を乗り越えてきました。しかしその進歩ゆえに、今まで見えていなかった環境汚染や感染症の拡大、生物種の減少が現れている。温暖化は極地方の解氷、温室ガスの放出、深海温度の上昇に拍車をかけます。砂漠化と汚染は陸海いずれにおいても進行中。ゆえにと言いましょうか、災害の数や規模も増大傾向です。地震も今まで特定の地域で、一定期間繰り返されていますが、それがしばらく起こっていない地域もあります。それはもう起こらないのではなく、よりエネルギーをためているということです。

聖なる場所が荒らされる 15-21節

にせキリストとも関連があります。『聖なる場所に荒らす憎むべき者が立つ』ということです。『聖なる場所』とは当時ユダヤ教の神殿を指しました。しかし西暦70年にローマ軍によって破壊されます。イエス様はそれも見越して「その時は山へ逃げろ」と言われました。預言は少し先に起こる事、さらに先に起こる事が重なっています。現在、そこにユダヤ教の神殿はありませんが、後に建設される可能性があります。「いや、この聖なる場所は教会を言っている」と言う人もいます。確かににせキリストは教会の中から繰り返し起こりましたから。いずれにしても要注目です。

楽しいはずの待降節が不安になることばかり?脅しているわけじゃない。これが現実。現実を見なければ将来を見失う。以上のことは、これまでもずっと繰り返されてきた。単純に同じことを繰り返してきたわけじゃない。少しずつ変化しながら、より巧妙になったり、ハイテクになったり、酷くなったり、大きくなったりしながら繰り返してきた。らせん階段を上るように同じことを繰り返しているようで実は一定方向へ向かっている。どこへ?イエス様の再臨に向かって。なぜ繰り返す?私たちが再臨により備えられるため。災害が多発する国土に住む私たちはそのことをよく理解できるはずです。繰り返す災害に真摯に向き合う忍耐力は、世界中を助ける救助力となるのではないですか。クリスチャンもそうです。『最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来る』。人々に地上における助けの手をのべると共に、永遠における救いの手をのべるために備えられるのです。

『もしこの期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう』。この言葉は慰めに満ちています。選民とはイスラエルの民であると共に教会も意味します。人類は自ら耐えられないような地球環境や人間関係に突き進んできました。まさに生き地獄(ノアの時代の世界と重なる)。しかし神様は、そんな世界を長々と放っておいて、私たちを苦しめるようなことはなさいません。私たちのためにそういう苦しむ期間を縮めて下さるのです。再臨のイエス様は、イエス様に信頼し従い通し、福音を伝え続けた私たちを漏れることなく引き上げ、復活の体を与え、古い世界を閉じ、新しい世界に生み出して下さる。共に新たな誕生を喜び合う。私たちはその誕生に我が視点と我が身を起き続けるのです。

12月8日(日)は待降節第二週礼拝。マタイによる福音書第24章32節〜51節から、「マンネリではない再臨待望生活」と題してメッセージです。


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