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感謝の賛美で世界を満たそう

今年、天授ヶ岡教会では祈りに少々重きをおいて取り組んできました。来年は賛美に少々重きを置いて取り組みたいと思っています。祈りと賛美は神様と私において、神様と私たちお互いに欠かすことのできないもの。そして祈りと賛美は表裏一体。詩篇がまさにそうです。今年に入って礼拝でその語りかけに聞き始めました。今日はその詩篇の最後から賛美の理由と目標を知りたいと思います。ということで、12月29日(日)の年末感謝礼拝は、詩篇第150篇1節〜6節から、「感謝の賛美で世界を満たそう」と題してメッセージでした。

賛美の場所 1節

それは『聖所』と『その力のあらわれる大空』です。当時、聖所と言えば神殿でした。神様の臨在される場所。人々は神殿に集い、共に賛美し、それぞれの生活の場へ帰って、そこでも賛美しました。聖所から大空へと賛美は響き渡るのです。現代を生きる私たちにとって聖所とは?この礼拝堂もそうでしょう。そして私たちです。神様は私たちにおられ、私たちの賛美によって恵みが溢れ出すのです。礼拝堂から私たちの生活の場へ!家庭や学校や職場にあなたという聖所がある。そこで賛美するのです。

賛美の理由 2節

それは神様の『大能のはたらきのゆえ』『すぐれて大いなることのゆえ』です。当時、神様のみわざと言えば天地創造、出エジプト、王国建設。その他にもたくさんのみわざが旧約聖書に記され思い出されました。神様は万物の創造者、歴史をつかさどるお方、何にも勝って『すぐれて大いなる』お方。現代を生きる私たちにとってもう一つ。旧約時代になかったことがある。神の子イエス様の救いのみわざです。すぐれて大いなるイエス様です。イエス様とその救いによって、私たちは神の子とされ、新しい世界を相続される。大能の働きはこの世界を超越する!感動、感嘆、驚嘆を持って賛美できるのです。

賛美の楽器 3-5節

ここには弦楽器や打楽器や管楽器がいくつも登場します。踊りも出てきます。モーセの姉ミリアムもタンバリンを打ち鳴らし、先頭切って踊りました。イスラエルの王ダビデも先頭を切って踊り、楽器を作り、多くの詩篇を残しました。「でも歌うの下手やし、楽器もようせんし、踊るなんて恥ずかしい。礼拝堂のみならず、外に出て行ってなんて絶対ムリ」と思う方もあるかも知れません。いやいや賛美するならもう賛美ではない。神様の恵みも感動も伝わらない。詩篇の作者が言いたいのは、あらゆる手を尽くして、自分にできる方法で賛美すればいいということです。神学生の頃、「あなたの体が楽器です。あなたという楽器をよく知って、使いこなす時、あなたらしい賛美が、あなたの中から外に向かって響き渡るのです」と教えられました。音楽的な歌にとどまらない。歩くのも、食べるのも、寝るのも賛美。料理するのも、掃除するのも、洗濯するのも賛美。遊ぶのも、学ぶのも、仕事するのも賛美。何をしても、どこにいても、誰に向かっても賛美。すると6節。『息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ』が自ずと成就する。これが賛美の目標です。賛美が伝わっていく。みんなで賛美。みんなが賛美。

あなたが賛美の楽器。そして賛美する力は既に備わっている。「自分はダメだ、自分にはできない」という余計な力を抜いて、神様の言葉に柔らかく従うなら、賛美は流れ出します。今年を振り返り、神様があなたにして下さった『大能の働き』を思い起こし感謝しましょう。新しい年、『すぐれて大いなる』神様にますます期待しましょう。そして共に祈り、賛美する生活を続けてまいりましょう。

1月1日(水)は元旦礼拝。伝道の書第11章1節〜6節から、「普段着の冒険者」と題してメッセージです。


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