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復活の準備はできていますか

『あなたの終りには、どうするつもりか』という問いが聖書にあります。私たちは生きている間、将来に向けていろいろと準備し、安心を得ようとします。しかし私たちの死について、また死の先についてはどうでしょうか。最近「終活」という言葉を耳にするようになりました。人生の終わりに向けての準備。自分の死の準備を人任せにしないで考えるようになってきました。しかし死が私たちの終わりなのか?その先の安心はあるのか?聖書は死の先の「復活」を語ります。「終活」で終わりではなく「復活」がある。ということで、4月12日(日)はイースター召天者記念礼拝で、ピリピ人への手紙第3章20-21節から、「復活の準備はできていますか」と題してメッセージでした。

今、天国籍を得る 20節前半

『しかし、わたしたちの国籍は天にある』。昨年のイースターでは金持ちが「よみ」に降った話をしました。「よみ」に降る人は「最後の審判」まで「よみ」で待たねばなりません。「よみ」には慰めの場所や苦しみの場所があるようです。それは生前の人生が反映されるようです。そして「最後の審判」で「よみ」から出され、神様の前にさばきを受けます。なお悔い改めなければ「火の池」に投じられます。「無」になるのでも「解脱」するのでもありません。誰からも認識されなくなる完全な「滅び」を味わうことになる。しかし「よみ」や「火の池」を恐れる必要はありません。神様は「滅び」を望んでおられない。だからイエス様を遣わされた。私たちの「滅び」の身代わりを十字架で成し遂げ、死んで「よみ」に降られた。ここまでなら誰もが行っていた。しかしイエス様は復活され天に上られた。それまでは「よみ」に下る道しかなかった。でもイエス様は天国へ上る道を私たちのためにつけて下さった。このイエス様を私の救い主だと、今心に信じ、口で告白し、洗礼を受けて態度で表明するなら、今天国籍を取得できるのです。もう「よみ」も「火の池」も無縁なのです。

やがて、復活民となる 20節後半

『そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる』。イエス様はこの世界を終わらせ、天国籍を取得した人々に復活の体を与え、共に新しい世界をスタートするために再臨されます。天国は素晴らしい所です。でもゴールではありません。天国にこの体は持っていけません。私の霊が行くだけ。しかし神様は、元々私たちを霊と体という2つの要素で生み出して下さいました。霊と体があって本来の私。だから復活が必要なのです。そして復活した私たちが生きる新しい物質世界も必要なのです。天国は新しい世界へ入るための待合ラウンジ。プレミアムな天国ラウンジ。そこから新しい復活の体が与えられ、新しい世界に降り立つのです。私たちは新しい復活民となる!今の体も素晴らしいです。しかし新しい体に比べれば『卑しいからだ』だとパウロ。新しい体は今の体の単純な復刻版ではなく、イエス様の『栄光のからだと同じかたち』になるのです。

ずっと、イエス様と歩む 21節

私たちに日本国籍があるなら、日本の社会保障、教育文化、安全を享受できます。しかし享受するだけではありません。日本や世界に貢献することを願われ、日本国民として学び、育ち、働きます。世界に恥じない日本は、私たち一人一人の生き様にかかっています。天国籍を取得した私たちも同じ。私たちはこの世界を越えた新しい世界を享受します。しかし享受するだけではありません。復活に至るまで、地上にあっては学び、育ち、働き、日本や世界に貢献するのです。それぞれの国には国を代表する人がいるものです。国民のモデルと言ってもいいでしょう。しかしそういう人は身近な存在か?天国籍の復活民代表はイエス様。イエス様は天に上られたと同時にいつも私たちと共におられる身近なお方。このイエス様に『万物を従わせうる力』、私たちをイエス様の『栄光のからだと同じかたち』に変える力がある。だからこのイエス様に、私たちはいつも学び養われ、イエス様と共に人々に仕え続けるのです。

復活の準備はできていますか?まずはイエス様の救いを自ら受け取り、新しい世界に新しい復活の体で入るその日まで、イエス様と共に歩み続けましょう。

4月19日(日)の礼拝は、マルコによる福音書第4章1-20節から、「神の国の奥義、聞く耳のある者は聞くがよい」と題してメッセージです。


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