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幸い。主の言葉で喜び走る

私はツール・ド・フランスを観戦するのが好きです。様々な個人やチームのタイトルがあり、賞レースがあり、都市部もあれば山岳地帯もあります。ただ自分のペースで走るわけではありません。駆け引きがあります。体力温存のため人の後ろについて走ることもあります。チームはそうやってチームメイトを勝利へ押し上げていきます。見る側は様々な楽しみ方ができますが、私は美しい景色の中を疾走していく選手の姿に喜びと力をいただきます。私も走りたい!とはいえ、家近くの田園や湖周辺を走る程度ですが。さて。聖書にも喜び走るものがあります。喜び走るものを導くものがあります。ということで、9月13日(日)の礼拝は、詩篇第19篇1-14節から、「幸い。主の言葉で喜び走る」と題してメッセージでした。

世界を支える主の言葉 1-6節

詩篇第19篇はダビデの歌。ダビデは子どもの頃から羊飼いで雄大な自然に身を置いていました。また天地創造から始まるダイナミックな主のわざを聞いていました。その自然界と物語を重ねて感動の歌を献げます。『もろもろの天は神の栄光(豊かさ)をあらわす』。毎日、自然界は主の『言葉』と『知識』を伝えてくれる。実際に声が聞こえるわけじゃない。しかし主の言葉と知識が、自然界の隅々にまで行き渡って、詰まって、あふれている。その代表例が太陽(5節の『日』がそれ)。太陽も毎日、堂々と、粛々と東から西へと駆け巡る。太陽から音は聞こえない。曇っていると見えない。しかし私たちを照らし、地球に必要なエネルギーを供給してくれる。『暖まりをこうむらないものはない』のです。その様子をダビデは『花婿がその祝いのへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る』と表現します。それはひとえに、主の言葉と知識によるのです。

私を健康にする主の言葉 7-10節

主の豊かさは私たちにも現れます。ダビデは主の言葉を『おきて』『あかし』『さとし』『戒め』『恐れる道』『さばき』とあらゆる表現で記し、それは『完全』『確か』『正しく』『まじりなく』『清らか』『とこしえに絶えることがなく』『真実であって、ことごとく正し』く、聞く者の『魂を生きかえらせ』『無学な者を賢く』し、『心を喜ばせ』『眼を明らかに』し、『金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い』と記します。何とも豊か。今時大変な健康志向です。天然由来のものに注目が集まります。しかしそれらは全て主の言葉由来。この世界は主の言葉で創造されたから。主の言葉こそ肉体の健康に止まらず、心と魂の健康にも必要。私の全存在において根本的に必要。特に9節の『真実』『正しさ(義)』は私たちの救いになくてはならない、自分たちでは造り出せない、いただくしかない必須栄養素なのです。

気づかせてくれる主の言葉 11-13節

主の言葉を『守れば、大いなる報いがある』とダビデ。「守る」とはじっくり見つめ、思い巡らし、従うこと。すると今まで気づかなかった『あやまち』や『隠れたとが』から『解き放』たれるようになる。さらに『あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されないように』して下さる。つまり無意識の罪からの解放と故意の罪からの守りがある。主の真実と義が罪をデトックスしてくれる。「わからずにやっちゃった」「わかっちゃいるけどやめられない」から「よくわかっているからやらない」に変えられる。ここで勘違いしやすいのが「主の言葉が一瞬で罪に気づかせ、劇的に問題を解決してくれるのではないか」ということ。そういう場合もあります。でもそれで「主の言葉はもう必要ない」とはなりません。多くの場合、緩やかに時間をかけて罪からの癒しと回復があります。なぜなら罪の問題は生活習慣のように長い時間をかけた複合的な問題だからです。無意識と故意の絡みに絡んだ罪を解きほぐしていくために、主の言葉は必要なのです。

私の言葉も喜ばしいものに 14節

『わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように』。主の言葉による罪からの解放は消極面に過ぎません。癒され、回復され、成長し、成熟していく。主の言葉と知識は自然界だけではなく、私たちの日々の営みにいよいよ現れるのです。ツール・ド・フランスの走者は日々、生活と健康に配慮し、体を鍛えます。時にキツイかもしれない。でもイヤではない。大会を楽しみに励んでいる。その積み重ねの結果、シャンゼリゼの凱旋(ゴール)がある。主は私たちにも喜び走るべき人生を用意しておられる。でも時に道が逸れたり、脱輪したり、蹴躓くこともある。いろんなものが邪魔することもある。そんな時も、そしていつも主の言葉に立ち戻る。先導する主の言葉に従い直す。癒され、保たれ、鍛えられ、何度でも立ち上がり、走り続ける。その積み重ねの向こうに、主の懐に喜び迎え入れられる、歓喜の凱旋があるのです。

9月20日(日)は年長者祝福礼拝。民数記第13章1節-第14章10節、ヨシュア記第14章1-11節から、「その信仰いつまでも変わりなく」と題してメッセージです。


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