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信仰のタッチ

マルコによる福音書は「神の子イエス・キリストの福音(良い知らせ)のはじめ(支配)」という言葉で始まりました。イエス様の支配がどんなに良い知らせなのかを記します。イエス様は弟子たちを招き、実践と座学をくり返す中で、その支配や奥義を少しずつ解き明かしてこられました。第5章に来て再びみわざが記されます。3人の癒しと回復のみわざ。前回は1人目「正気になった人」というお話。そして今回は『十二年間も長血をわずらっている』女性のお話。ということで、10月18日(日)の礼拝は、マルコによる福音書第5章21-34節から、「信仰のタッチ」という題でメッセージです。

イエス様、救って下さい! 25-29節

イエス様は会堂司ヤイロの家に向かっておられました。ヤイロの『幼い娘』の癒しのためでした。『大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながらついて』行きました。押し合いへし合いです。そこへ先ほどの女性。女性特有の病。しかも12年間。さらに多くの医者に苦しめられ、スッカラカンになり、病状は悪化していました。血に関する病がある場合、当時の律法では「汚れ」と見なされ、その人がタッチするものも「汚れる」とされました(汚いという意味ではなく、日本語の「気枯れ」と似ている)。治るまで人との接触や町への出入りは禁止されていました。しかしもはや限界。彼女はイエス様に『なおしていただける』と思って『み衣』にタッチ!この『なおしていただける』は『救っていただける』という言葉。「治して下さい」ではなく「救って下さい」!すると速効『なおった(治った)』!彼女がイエス様にタッチすることでイエス様が汚れるのではなく、彼女があっという間に治ったのです。

あなたの信仰があなたを救った! 30-34節

彼女がイエス様にタッチした瞬間、イエス様は『自分の内から力が出ていったことに気づかれ』『わたしの着物にさわったのはだれか』と探されました。「いやいや先生、こんなもみくちゃ状態で、何言うてますのん!」と弟子たち。でも明らかに違うタッチがあった。イエス様はご存じでしたが、彼女が自発的に言い出すのを待っておられました。彼女は恐れながらも『すべてありのままを申し上げ』ました。『ありのまま』とは「真実」という言葉。彼女にとって人混みに突入することも、イエス様にタッチすることもドキドキだったはず。人前で真実を明かすことはもっとドキドキだったはず。でも彼女はイエス様に変えられ、自らも変わったのです。イエス様は『娘よ、あなたの信仰があなたを救った』と宣言されます。信仰のタッチは救いのタッチ。病の癒しは一部に過ぎない。彼女の存在全体が救われ、新しくされる。イエス様は『安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい』と、彼女の生活におけるあらゆる癒しと回復のために送り出されました。

マルコによる福音書第1章に「重い皮膚病の人のきよめ」という話がありました。今回の話とよく似ています。でも違うところもある。重い皮膚病の人は、イエス様にさわっていただいてきよめられ、今回の女性はイエス様にさわって救われた。「さわる」という言葉は「灯す」という意味もある。タッチされたかしたか、いずれにしてもイエス様のあふれる力を灯していただいた。ここから言えるのは、「イエス様に遠慮するな」ということです。自分はこんなに汚れているから、こんな問題を抱えているから、こんな悪い人間だから、他の人の方がもっと大変だから、私はイエス様に近寄れない、さわれない、遠慮しておこう…なんて思うな。「イエス様、救って下さい!」とタッチするなら、イエス様は喜んで、イエス様が与えうる最大の救いを、真っ先にドーン!と与えて下さいます。それ以下はないのです。

人には言えない、見られたくない、知られたくない、と思う所ほど手渡す。そういう所ほど、自分ではどうにもできないから。私たちはそういう一番深い所の自分をギュッと握りしめ、どうにもならなくなっていないか?そこをまずイエス様に手渡す(告白する)。それが信仰のタッチ。それが私たちの真実。一番深い所から癒しと回復が始まる。イエス様は惜しみなく力を注ぎ、あなたを温かく、明るく灯して下さいます。

10月25日(日)の礼拝は、ガラテヤ人への手紙第5章2-12節から、「自由の行い〜愛によって働く信仰」と題してメッセージです。


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