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自由の行い〜愛によって働く信仰

ロック。伝統や常識や建前を打ち壊し、自由と愛を叫びます。ロックが流行りだした頃、それまでの音楽や文化に慣れ親しんだ人から激しい批判の声が上がりました。ルーツを辿れば人種差別の苦しみから生まれたものですが、既存の文化、音楽、楽器なくして生み出されませんでした。そして今やロックも音楽ジャンルの確固たる一つ。既存のものが当たり前。新しいものは認めない。理由がどうあれ認めない。認めないどころか徹底排除。そんなことを繰り返していないか?パウロはそんな既存勢力の迫害に直面していました。新しく生み出されたガラテヤ教会がそんな既存勢力に飲み込まれようとしていました。パウロは叫びます『あなたがたの扇動者どもは、自ら去勢してしまうがよかろう』結構ロック!パウロの叫ぶ自由と愛はいかなるものか?ということで、10月25日(日)の礼拝は、ガラテヤ人への手紙第5章2-12節から、「自由の行い〜愛によって働く信仰」と題してメッセージです。

自分の行いが動機か 2-3節

『見よ、このパウロがあなたがたに言う』。パウロこそ、生粋のユダヤ人、ユダヤ教徒、律法学者。割礼も受け、律法に熱烈精進し、彼の全ては律法に動機づけられていました。イエス様を憎み、教会を熱心に迫害し、死に追いやっていました。イエス様と教会の敵。しかし180度変わった。復活のイエス様との圧倒的な出会いで。パウロはイエス様にさばかれるのではなく救われ、今度は教会を生み出す者に大転換。『わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強く抱いている』。パウロもガラテヤ教会も、救いは律法の行いと全く関係がない。イエス様への信仰によって、御霊の働きで、救われる。ただ神の恵み。しかし『あなたがたを動揺させる者』が入り込んできた!彼らはイエス様に結びつける者ではなく、彼らに結びつけようとする者。彼らに向いて聞いて従って割礼を受けるなら、全ての律法を行う必要がある。徹底的に完璧に。しかし律法は「できない」ことを示す「養育掛」。『律法によって義とされようとするあなたがたは』その矛盾をどう解決するのか?前の皮だけでなく、全部切り取ればもう罪を犯せないのではないか?罪を犯す可能性のあるものを次々に切り落とせば、どんな罪も犯せなくなるのではないか?それで完璧か?なんとエグい挑戦状!どうです?そんなことすれば、もう自分でなくなってしまう。罪でないこともできなくなってしまう。何もかも台無し。

神の愛が動機か 6節

『尊いのは、愛によって働く信仰だけ』。『働く』とはエネルギーという言葉の元になっている言葉。コリント人への手紙でもパウロは使っていました。尊いのは愛を燃料とする信仰だけ。尊いのは愛によって生み出される信仰だけ。この愛は神の愛(アガペ)。イエス様が示された十字架の愛。御霊の実である愛。これも私たちから出たものではなく、いただくしかないもの。ただ神の恵み。私たちはこの愛で『走り続け』ることができる。かつてのパウロを知るユダヤ人たちは、今のパウロが全く理解できなかった。パウロはそれを『十字架のつまずき』と表現します。それは元を辿れば、律法学者のイエス様へのつまずきにあるからです。律法学者は律法を一言一句正確に完璧に守ろうとした。真面目、善意の塊、周りからも尊敬されていた。でもイエス様は全然違う(ように見える)。律法を守らない(ように見える)。おまけに律法学者を痛烈に批判し、既存の秩序を破壊する者(に見える)。罪人と呼ばれる多くの人々がイエス様と一緒に楽しそうに飲んだり食べたりしている。緩すぎる!理解できない!憎しみすら感じる!溝は深まるばかり。ついに十字架につけるに至った。イエス様こそ『神の言』。イエス様こそ『律法の一点、一画もすたれることはなく、ことごとく全うされる』お方。なぜここまでの隔たりが生まれたのか?ひとえに、愛を動機としているか、していないかに尽きるのです。

私たちは、自分にとってわかりやすい聖書の一部を「これならできる」「これは無理だろう」などと取捨選択することがないでしょうか。しかしできることを「しなければならないこと」とするなら、他の全てもしなければなりません。『少しのパン種でも、粉のかたまり全体をふくらませる』のです。十戒も十の戒めを守っていればそれでいいというのでも、罪のチェックリストでもありません。その本質は神様を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい、ということです。その視点に立てば、十と言わずあらゆる面で応用できる。既存のものか新しいかではなく、本質を見失うな。私たちに本当に必要なのは神様の愛を燃料にした信仰。この愛によってのみ、走り続けることができるのです。

11月1日(日)の礼拝は、詩篇第21篇1-13節から、「幸い。楽しませて下さる主」と題してメッセージです。


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