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マリヤの賛歌

今年も目まぐるしく様々なことがありました。クリスマスはイエス様の降誕を祝う日ですが、2千年前の歴史上の人物の誕生を喜んでいる暇はないし、自分には関係ないでしょうか?聖書は歴史が繰り返され、世界の状況が厳しくなることを記します。それと共にイエス様の再臨がいよいよ近づいていることを記します。私たちは世の中の出来事にも丁寧に向き合いつつ、イエス様による救いにこそ注意を払うのです。12月20日(日)のクリスマス礼拝は、ルカによる福音書第1章39-56節から、「マリヤの賛歌」に耳を傾けます。46節に『わたしの魂は主をあがめます』とありますが、原文は「あがめます」が最初の言葉です。ラテン語で「マニフィカト」。ここから「マリヤの賛歌」は「マニフィカト」と呼ばれるようになりました。

メガサイズの主がマリヤに 46-47節

「あがめあます」「マニフィカト」はギリシャ語で「メガリューノー」。メガサイズとかラーメンメガ盛り!とかいうときのあの「メガ」。最大級をいう言葉。神様こそメガサイズ!神様の救いこそメガ盛り!マリヤは片田舎の村の女の子。御使いガブリエルが『恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい』と言うと、マリヤは『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』とこたえました。『はしため』とは女性の僕。全く無名の、目立たない、取るに足らない小さな私、という思いがあったのでしょう。そんな小さな私に目をとめ、メガな神様が臨んでくださった!マリヤは小さくとも『わたしの魂』『わたしの霊』という最も深い所から、全身全霊を持って、メガな神様を賛美しました。

メガ盛りの救いがマリヤに 48-50節

ここでマリヤは自分を『卑しい女』と表現します。『卑しい』とは「低い」という言葉。御使いガブリエルはこう言いました。『聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう』。49節でマリヤはこう歌います。『力あるかたがわたしに大きな事(メガス)をしてくださった』。力あるいと高き方が、いと小さく低いマリヤにメガ盛りのわざをしてくださった!マリヤは自分を卑下しているのではありません。神様の大きさを表したいのです。マリヤは後の人々が彼女を『さいわいな女』と呼ぶだろうと歌いますが、マリヤはイエス様を産むことで「救われる」と喜んでいるのではありません。彼女は『救主なる神をほめたたえ』、『そのあわれみは…主をかしこみ恐れる者に及ぶ』と告白するのです。マリヤもまた、イエス様を自分の救い主だと信じ従うことで、救いを自分のものとすることができたのです。

メガ盛りの救いは私にも 51-54節

マリヤは逆説の神様、逆転の救いを告白します。『心のおごり高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王座から引きおろし』『富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます』。『卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ、その僕イスラエルを助けてくださいます』。マリヤの時代も今の時代もさして変わりません。リーダーが自国の利益を一番としながら、自国内も分断と格差であえいでいる。権力と民衆がぶつかり合っている。大小様々な弱肉強食がはびこっている。様々な困難がたたみかける中で、富は一部の人々にますます集中している。しかしどれだけ富をかき集めても、この世界にいる限り逃げられません。でも神様は逆転のお方。私がどんなに小さく、低く、卑しめられていても、神様に向いて救い主イエス様に従うなら、永遠の命と復活の新しい体が与えられ、新しい天と地へ導き入れられ相続する!メガサイズの神様は、メガ盛りの救いを大盤振る舞い!大放出!なのです。

悪いことも救いも聖書の通りになります。マリヤの言葉のように『お言葉どおりこの身に成りますように』と、躊躇せずに救いを受けとるべきではないでしょうか。私は日赤の救急法講習で「まず自分が助かることです」と教えられました。人を踏み台にして助かるのではありません。人を助けるためにまず私が助かるのです。神様の救いをいただくのも同じです。悪い状況の中でも神様の言葉に従い、たたみかける困難に忍耐強く向き合い、与えられた賜物を用いて救いを分かち合う。分断や格差をコツコツ埋めていく。マリヤの神様は私の神様。『神にはなんでもできないことはありません』。小さな私を通しても、神様はメガ盛りのわざを現してくださいます。

12月27日(日)は年末感謝礼拝。詩篇第136篇1-26節から、「感謝で始まり、感謝しつつ次へ」と題してメッセージです。


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