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自由の行い−愛をもって互いに仕える

みなさんは支配という言葉にどのようなイメージを持たれるでしょうか。アニメや漫画で「世界を支配するのはこの私だ!」とか言っているのは大抵悪役です。人々から殺さない程度にあらゆるものを吸い上げ手中に収める。では奴隷という言葉にどんなイメージを持たれるでしょうか。そんな支配者によって何もかも奪われ、こき使われ、捨てられていく…そんな悲惨なイメージ?支配と奴隷。自由のイメージがない。しかし古今東西、独裁者がいるかいないか、資本主義か社会主義か、奴隷制度があるかないか関係なく、そんな支配や奴隷的な関係が、大小様々な姿で蔓延していないか?パウロは本当の自由を得るためにガラテヤ人への手紙を書きました。そしてこう記します。『兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい』。自由を得て仕えるとはどういうことやねん!自由の本当の姿を取り戻したい。1月3日(日)の新年礼拝は、ガラテヤ人への手紙第5章13−15節から、「自由の行い−愛をもって互いに仕える」と題してメッセージです。

自由を得るために

『自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである』(1節)。『兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである』(13節前半)。私たちはイエス様の救いによって、まず神の子として生まれ、神の子の立場をいただきました。しかしいきなり神の子として振る舞い、生活できるかというとそうではありません。多くの場合、段々神の子らしさを身につけ、神の子らしく成長します。それと同じように、私たちはイエス様によって罪と律法から解放されましたが、すぐさま自由に振る舞い、生活できるかというとそうではありません。多くの場合、段々自由の子らしさを身につけ、自由の子らしく成長するのです。解放されてなお自由を身につける。それが『自由を得る』ということなのです。

自由な者こそ仕える

私のかつての自由とは「何をやっても自由だ!やりたいようにやって何が悪い!」というものでした。自分のわがままである『肉の働く機会』の言い訳でした。自由という拳を振り上げ、周りを傷つけ、回り回って自分を傷つけていた。自由といいながら罪の奴隷。罪の奴隷から解放されたいと律法に走ったけれど、今度は律法の奴隷。罪と律法の板挟み。イエス様や父なる神様はどんな方か?アニメや漫画に出てくる悪役支配者のような振る舞いをしているか?神の親子は世界の創造者。生きとし生けるものが十分に存分に生きることができるように、メガ盛りの世界を与えてくださった。私たちが罪と律法の奴隷になり滅びへ向かっていると、イエス様はこの世界に飛び込み、自分の身を挺して救いを用意してくださった。そして最初の祝福にまさる、新天新地の祝福まで加えてくださった。与えてばかり。仕えてばかり。全部ただ。実は本物の支配者こそ仕えている。本物こそ持てる者。余裕なのです。悪役支配者は持たざる者。余裕がない。自分のことで精一杯。他から奪うことに必死。しかしあふれるほどに持てる神の親子は、あふれるばかりに仕えることができるのです。

愛を燃料に仕える

『愛をもって互に仕えなさい。律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである』(13節後半、14節)。新約聖書の時代、「仕える」という言葉は、奴隷的な意味合いがありましたが、創世記では違いました。私たち人間は「神のかたち」。神の代務者として創造されました。そして与えられた仕事が「耕す」ことでした。この「耕す」が「仕える」という言葉。自然を理解し、耕すことで豊かな自然をより豊かにしていく。私たちは周りに仕えることで、神の親子のように、命を育み、活かし、豊かにする存在。それが私たちの自由。自らの由(わけ)なのです。この仕える燃料は「神の愛」。神様の愛も無尽蔵。神様は愛したいから私たちを生み出され、活かしたいからなお愛し、愛を豊かに分かち合いたい。6節の『愛によって働く信仰』は『愛をもって仕え』る行動となる。14節の『尽きる』は「全うする」という言葉。「律法の行い」にこだわり努力しても律法は全うできません。しかし愛の行動は、律法全体をあふれるばかりに全うするのです。

支配という漢字は「支えて配る」と書きます。「奪って威張る」のではありません。奪って威張るのは自分が何も持っていない証拠。持たざる奴隷といえないか?私たちには「神の愛」が注がれている!「いつくしみ」が絶えることもない!「賜物」も与えられている!私たちはこれらを燃料や元手に、互いを支え合い、必要を分かち合い、自由の子として成長してまいりましょう。

1月10日(日)は青年祝福礼拝。詩篇第119篇9−16節から、「おのが道を保つすべ」と題してメッセージです。


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