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おのが道を保つすべ

少子高齢化がいわれるようになり久しいですが、天授ヶ岡教会に若い兄姉たちがおられること、若い世代がおられるご家庭がいくつもあることを感謝します。1月10日(日)は青年祝福礼拝。若い方々の救いと成長と祝福を願ってメッセージさせていただきますが、ある意味、私たちみんな、今が一番若い時。共々にみ言葉に耳を傾けたいと思います。詩篇第119篇9-16節から、「おのが道を保つすべ」と題してメッセージです。

み言葉の発信者を尋ね求める 9-10節

『おのが道』とは「私の生活」「私の人生」です。『清く保つ』とは「純粋にする」という言葉です。私の生活とその積み重ねである人生を常に純粋に、混じりけなく保つにはどうすればいいのか。『み言葉に従って、それを守るよりほかにありません』。9節で若い人に関する問いが出され、9節でいきなり結論が出ています。『み言葉』は「発話」という言葉です。誰から発せられた言葉か?主からです。まず私たちは、み言葉の発信者である主を『心をつくして』『尋ね求め』る必要があります。「その人に聞く」とは、まずその人に向かなければなりません。顔だけではなく心も向ける。そしてその人の言葉を聞くことは、「その人」を受け入れ、理解し、共感し、その人を学ぶ、ということなのではないでしょうか。その人に聞くのはその人をもっと知るため。それこそが、「その人に聞く」ことなのではないでしょうか。私たちはまず、他の誰でもない、主を知るために、主に聞くのです。

主のみ言葉をたくわえる 11-12節

『あなたにむかって罪を犯すことのないように』とは、単に悪いことをしないように、というだけではありません。「的を外さないように」「目的や自分を失わないように」ということです。そのために『心のうちにみ言葉をたくわえました』。先に「私の生活や人生を純粋にするためには、み言葉に聞いて守るよりほかにない」とありましたが、それは「的を外さないよう、目的や自分を見失わないよう、み言葉をたくわえる」ことと同じです。12節の『さだめ』は「境界」をいう言葉です。み言葉は、あなたの内にあって、あなたと他の境界を明確にし、迷い出ないよう守り、あなたをあなたらしく歩ませ、あなたの目的を果たさせるのです。純粋な『おのが道』を全うさせるのです。ここに『ほむべきかな』とあります。この言葉は、私たちが主に使う時、賛美になり、主が私たちに使われる時、祝福になります。み言葉の発信者こそ、祝福の源。そのみ言葉をたくわえることは、私自身に祝福を満たすことになる。さらに祝福を分かち合う者となるのです。

主のみ言葉を私が発信する 13-14節

詩篇第119篇はみ言葉を様々な言葉で表現します。今回の箇所でも『戒め』『定め』『もろもろのおきて』『あかし』『さとし』。それだけみ言葉は豊かで多様で奥深い。このみ言葉に聞いてたくわえるなら、私たちも豊かで多様で奥深くなる。そして自分の心にたくわえるだけではなく外に向かって『言いあらわ』す。この言葉は「覚えて口ずさむ」「物語る」「語り告げる」という言葉。14節の『あかしの道』は「あかしの旅」「あかしの習慣」とも訳せます。あなたの生活や人生は、主のあかしの旅であり、主のあかしと一体なのです。み言葉はお札やお題目ではありません。主の生きた物語。と同時に、主のみ言葉に聞くあなたの物語にもなる!私の子どもたちや幼稚園の子どもたちは物語るのが大好きです。「ねえ!私の話しを聞いて!」。悲喜こもごも語りたい。私たちにとって『主のあかしの道』こそ人々に語るべき物語。そして『たから』。この中から、こんこんと主の祝福が湧き出るのです。

最初の9節で結論が出ていますが、15-16節で今一度まとめが記されます。『思い』は「熟考する」「話す」、『目をとめる』は「捉える」、『喜び』は「愛でる」という言葉。み言葉を愛でて、熟考し、発信する。その繰り返しの中で、「主の道」を「おのが道」として捉えていくのです。私たちの人生の物語は一朝一夕にしてならず。あなたの人生は、み言葉によってどのように彩られ、形づくられ、輝きを増していくでしょうか。楽しみにしつつ、物語を分かち合ってまいりましょう。祝福をお祈りいたします。

1月17日(日)はホーア師&八重師記念礼拝。マルコによる福音書第6章6-13節から、「チームで宣教」と題してメッセージです。


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