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復活の朝を望み見て

私が天授ヶ岡教会に来てから、イースター召天者記念礼拝において、誰もが永遠に生きることを望んでいること、肉体が死んだら天国かよみに行くこと、よみに降ったご先祖様の思いなど、聖書からお話ししてきました。そして昨年は「復活した私たちはどのようになるのか?ということを来年(2021年)以降お話しします」と予告しておりました。4月4日(日)イースター召天者記念礼拝は、ルカの福音書20.27-38から、「復活の朝を望み見て」と題して、そのお話しです。

この世における私たち 20.34-35

ここに『サドカイ人』が登場します。彼らはモーセ五書と呼ばれる律法を守る祭司たち。彼らは、律法には記されていないからと、霊や御使いの存在、未来の審判や復活を否定していました。そこで律法を盾に、1人の妻に7人の夫という例を携えてイエス様に質問に来ました。その律法とは結婚に関するものでした。当時長男の家系を絶やさないことが大事とされていました。長男が男の子を得ずして死ねば、弟たちがそのつとめを果たさねばなりませんでした。もし復活があるなら、7人兄弟の妻になった人はどうなるねん!7人兄弟が奪い合うことになるのか?ややこしいがな!サドカイ人は『次の世』と『この世』は全く同じだと考えていました。今の世界は、神様が『生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ』と祝福され、アダムとエバという2人から人の歴史が始まりました。結婚によって人が増えることが前提。しかしイエス様は『この世』と『次の世』は違う、と言われるのです。

次の世における私たち 20.35-36

イエス様は、復活する人は『めとることも嫁ぐこともありません』『彼らは御使いのようであり』『復活の子として神の子なのです』と言われました。そんなの面白くない?ときめかない?イエス様が言われる『次の世に入るにふさわしく、復活するのにふさわしいと認められた人たち』とは、『この世』における無欲な人、禁欲的な人、恋愛や結婚に関心のない人を言うのではありません。「神の愛」を知り、神様を愛し、自分を愛し、隣人を愛することを知っている人。その「神の愛」は神様から受けつぐもの。だからまず、自分が神の子イエス様の救いを信じ、バプテスマを受け、神の子として生まれる必要があるのです。『この世』において生まれておく。そうやって二千年間、生まれた人たちがどれほどいるか?現在のクリスチャン人口は20億人を少し超えるぐらいでしょうか。でも、天に召され、誕生する人が常にいます。アブラハム、イサク、ヤコブなどの旧約聖書時代の人々もいます。合わせるとスゴイ数になると思います。『次の世』はアダムとエバのような2人から始まるのではなく、すでに生まれた者たち(そして復活する者たち)で始まるのです。

生きている者の神と共に 20.37-38

イエス様は、サドカイ人が「復活なんか書いてない!」と固執する律法に記される、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』という言葉から、モーセも『死んだ者がよみがえることを明らかにし』ているとし、『神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です』と宣言されます。でもアブラハム、イサク、ヤコブって死んだよね?『この世』の肉体は死にましたが霊は生きていた。よみでイエス様を待っていた。イエス様のよみ降りと昇天で共に天国入りを果たした。そして復活を待っている。イエス様の昇天後、イエス様の救いを受けとらず死んだ人は、よみに降り最後の審判を待つ。イエス様の救いを受けとり死んだ人は、天国に昇り復活を待つ。神様は、地上でイエス様を信じる(生きている)人の神であり、天国で復活を待つ(生きている)人の神です。ただし今の肉体は死にますし、霊のままなら半分です。復活の体をまとってこそ完全な『生きている』になる。神様はそこまで、アブラハムもイサクもヤコブも私たちも導きたいのです。では本当に『死んだ者』とは?また、イエス様の昇天後、よみに降った人たちはどうなる?神様はよみにいる人たちの神でも「まだ」あります。イエス様を知らずに死んだ人もいるのですから。このあたりのことは来年以降お話ししたいと思います。

『この世』の肉体は様々な問題でストレスを受け、歪み、傷を負います。それは心にも霊にも影響します。そんな『この世』における私がそのまま復活し、『次の世』に生きるのではありません。その不自由や歪みから解放され、霊が伸び伸びできるしなやかで軽やかな体を得るのです。その人とわかるけれど全く新しい体。いやその人がもっとその人になる。イエス様がそうです。地上のものを食べることもできた。でも必須ではない。十字架の傷跡があった。でも跡に過ぎない。瞬間移動もできた。物理的制約もない。復活のイエス様は栄光のイエス様。私たちも『復活の子として神の子』となるのです。

4月11日(日)の礼拝は、詩篇27.1-14から、「幸い。この一事を求める」と題してメッセージです。


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