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八十歳からの男

9月19日(日)は年長者祝福礼拝です。昨年は85歳でも戦う男、カレブのお話しでした。今年は出エジプト記3.1-4.17から、「八十歳からの男」と題してモーセのお話です。

幸先がよくても

イスラエルはエジプトの奴隷になり果てていました。元々ヤコブ一家が大飢饉のため、エジプトへ身を寄せたことが始まり。ヤコブの息子ヨセフが奇しくもエジプトの宰相になり大飢饉に見事対応。当時のファラオはヤコブ一家を厚遇。しかしそんな出来事を知らないファラオとなります。イスラエルはどんどん増え、エジプトを乗っ取るのではないかと恐れたファラオは、イスラエルを奴隷として扱うようになります。イスラエルは苦しめられるほど増え、ますます恐れたファラオは生まれる男の子をナイル川に投げ込むよう、殺すよう命じます。そんな頃にモーセが誕生。両親は隠して育てますが3ヶ月が限界。防水加工したカゴに乗せナイル川へ。モーセの姉が成り行きをこっそり観察。するとファラオの娘がそれを拾った!すかさず姉はファラオの娘にモーセの母親を乳母として紹介。母親はモーセを養い、給料までもらい、モーセは王女の子となりました。なんという奇跡的連続!モーセは神に選ばれし者!将来が期待されし者!誰もがそんな期待を抱くのではないか?ところが…

どん底になる

出エジプト記にモーセの転機となる年齢は記されません。使徒の働きに記されます。モーセが40歳になって「同胞を救うのはこの私だ」と自覚して立ち上がります。そして最初にしたことは、目の前で同胞を痛めつけていたエジプト人を殺すこと。しかし同胞は喜ばなかった。数日後イスラエル人同士でケンカしているところをモーセが仲裁に入ります。すると「誰がお前を俺たちのリーダーにしたんだ?俺もあのエジプト人のように殺すのか!」と食ってかかられました。モーセの噂は広がり、ファラオはモーセを殺そうとします。モーセは逃げだし、シナイ半島を横切り、ミディアンという荒野に辿り着きました。イスラエルは何の希望も持っていない。救い出してくれるリーダーも求めていない。モーセを仲間とも思っていない。ファラオの側につく裏切り者。そのファラオからも追われることに。モーセは自分の存在意義を完全に失い、失意のどん底に突き落とされた。これ以上の挫折はなかったのではないか?ところが…

そこからのフル活躍

モーセはそれから40年間、ミディアンの祭司レウエルに身を寄せ、その娘と結婚し、男の子を得、羊飼いをしていました。モーセはすっかりここの生活に落ち着いていました。80歳。ここで人生を終わるのも悪くない?このまま燃え尽きるか?ところがどっこい!燃え尽きず、燃え続ける柴の中から、主が声をかけられたのです。イスラエルを助け出すためエジプトへ行くように!でもモーセの反応はダメダメでした。「今さら何を?40年も引きこもり状態。コミュニケーションは大の苦手。もう歳だ。リーダーシップをとれるわけない。私は終わっている」。でも主は『わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ』。それでもモーセは何度も断り尻込みします。主はモーセの駄々っ子ぶりに半分あきれ、半分怒りながらも、忍耐強く一つ一つ丁寧に「ああすればいい、これを備えよう、あなたの兄アロンが代弁してくれる、大丈夫だ、できる!」と語りかけられ、モーセはようやく立ちあがりエジプトへ向かったのでした。

モーセはエジプトのファラオにも、イスラエルの王にもなりませんでした。しかし『神の代わり』としてファラオの前に立ち、イスラエルを救い出し、荒野で導く務めを40年間全うしました。彼の最初の40年も、次の40年も、決して無駄ではなかった。それは最後の40年のための備えだったのです。主の手にかかれば無駄も遅いもありません。主は、燃える柴の中から『モーセ、モーセ』と呼びかけられたように、私たち1人1人にも呼びかけておられます。『わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ』。主との人生こそ、悔いのない、満足な、私たちの歩むべき道。人生に無駄も遅いもない。私たちもいよいよこれからなのです。

9月26日(日)の礼拝は、エペソ人への手紙2.11-19から、「神の家族としての新創造」と題してメッセージです。


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