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神の言葉に従い抜く

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創世記から、神様に向いて聞いて従うことの大切さを学んできました。それがいかに自然かも学んできました。しかし私たちは神でないものとその言葉に取り囲まれ、神でないものに向いて聞いて従うことがあたかも自然であるかのように思えてきてしまいます。そこでノアの生き方に学びたい、ということで11月6日(日)の礼拝は、創世記第6章9節〜22節から、「神の言葉に従い抜く」と題してメッセージでした。

状況に左右されない生き方

ノアのひいおじいさんのエノクは「神とともに歩み」「神が彼を取られ」ました。神と共に生活し、神に受け入れられた、ということです。そしてノアも「神とともに歩」みました。ノアが生きた時代、地には暴虐が満ちていました。破滅していました。今の時代はどうですか?私たちの社会もここ数十年で目まぐるしく変化し、価値観は多様化し、善悪の判断も難しくなり、様々な犯罪が横行し、混沌としてきました。たかだか数十年。しかしどう生きていけばいいか迷わずにはいられないのではないでしょうか。そこでノアの生き方です。ノアは500年間!破滅した社会の中で、破滅に染まらず正しく生きました。聖書はノアを「全き人」と記します。完璧な人というよりも「主の前に恵みを得」る人、「神の命じられたように」する人。つまりノアはどんな状況にも左右されず、神様に向いて聞いて従ったのです。

経験に左右されない生き方

神様はノアに箱舟を造るように言われます。箱舟は「かご」とも訳せる言葉で、ものを入れて浮かばせる器。当時は「上の水」が地球を覆い、大陸も大きなかたまりでなだらか、地下水がわき上がり、どこへ行っても温暖・湿潤、気温や気圧の変化も雲の発生や雨も少なく、船を運搬や交通の手段とすることはあまりなく、ましてや避難用の船の発想はなかったと考えられます。船があれば箱舟を造れとは言われません。当時の社会からすれば常識外れな箱舟を地面の上に造ることは、これまた常識外れなことでした。しかしノアは見たことのない箱舟を造り始めました。あなたならどうします?社会の常識や自分の経験と真っ向から対立する神様の命令に従えますか?イスラエルの民はいつもこの点で失敗しました。単なる経験だけではなく、信仰的経験が神様の「時の声」を邪魔することもある。しかしノアはどんな経験にも左右されず、神様の言葉に従ったのです。

神様と人との共同作業の恵み

神様は独りで、当時の世界の終わりと新しい世界への救いを実行しようとはされませんでした。いや世界はすでに人間によって破滅していました。神様は新しい世界への救いに力点を置いておられます。そしてそれをノアと共に実行しようとされました。ノアは「神のかたち」。「神のかたち」は滅びるためにあるのでも、滅ぼすためにあるのでもありません。神様からの命と支配と愛を地に満たすためにある。神様独りでもできることですが、「神のかたち」であるノアと一緒に救いと祝福の更新という作業に取り組みたかったのです。ノアより後、「契約」という言葉が使われます。契約が更新される度に、神様がなさっていたことを少しずつ、ノアやアブラハム、ヤコブやダビデ、さらに預言者へ、権限委譲していかれます。そして神様の権限が全て委譲されたのがイエス・キリストです。神様と「神のかたち」がそこでピタッと重なるのです。ノアの箱舟はやがて新約聖書でキリストの救いのひな形として語られます。

創世記から黙示録まで変わらない唯一の生き方、創世記から黙示録まで常に試される生き方、それが神の言葉に従い抜くこと。ノアはそれに徹しました。それは苦行ではなく、命あふれる救いと祝福を経験し続ける恵みなのです。

11月13日(日)の礼拝は、創世記第7章1節〜22節から、「滅びのただ中にある救い」と題してメッセージです。

 


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