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幸い。地を受け継ぐ

私は岡山県の教会で奉仕していました。その地域は歴史ある農業地域で、古い建物がいくつもありました。草に埋もれ、朽ちかけているものもありました。誰もその土地や家に長らく住んでいないからでした。でも人が住んで使っている土地や建物は、整えられていて美しく、歴史の息吹を感じました。1月23日(日)の礼拝は、詩篇37.1-40から、「幸い。地を受け継ぐ」と題してメッセージです。私たちがその土地や家で丁寧に生活することの大切さを学びます。

主に信頼して生活せよ

詩篇37篇は知恵の書と言われます。そして覚えやすいようにアルファベット詩にしたもの。ボリュームがありますが、今日は大きく3つのことから学びます。その1つ目が「主に信頼して生活せよ」。この詩篇も『悪を行う者』と『正しい人』が対比されています。「『悪を行う者』は、草が枯れるように、木が折られるように、どんなに生い茂っても断ち切られるように、モリモリ隆盛を極めても滅びる時はあっという間。『正しい人』は歴史の中で常に少数だが、恥を見ず、満ち足り、歩みは確かになり、転んでも倒れ伏すことなく、未来がある」という内容。その違いは?ダビデは語ります。『主に信頼し善を行え』。主への信頼は『一人の正しい人が持つわずかなもの』です。『わずかなもの』とは「たった一つの、とても稀少なもの」という意味です。『悪を行う者』は莫大な富や力を持っているように見えます。『正しい人』は貧しく弱く見えます。しかし主へのたった一つのかけがえのない信頼によって、主は私たちを捨て置かず、願いを叶え、歩みを成し遂げ、救い、引き上げ、輝かせられるのです。

落ち着いて生活せよ

ダビデは「腹を立てるな、ねたみを起こすな、悪を離れて善を行え、誠実を行え、知恵を語り、義を告げ、全き人に目をとめ、主の道を守れ」と語ります。そういう人を「柔和な人、全き人、正しい人、敬虔な人」と呼びます。ハードル高っ!そんなん無理?自分を見た途端それは不可能。ダビデは「主を信頼し、主を喜び、主の前に静まり、主を待ち望みなさい」と語ります。自分を見るのではなく主に向き合う。つまり私たちは主との交わりを欠かしてはならないのです。親しくなればなるほど影響を受けるものです。私たちは日々主の影響を受けるべきです。その中で私たちの生活は落ち着いていきます。世の中が様々な流行、思潮、ムーブメントで騒ぎ立ち、戦争や政争や災害で揺れても、そのただ中でも揺らぐことなく、主との落ち着いた生活を続けることができるのです。

地に足着けて生活せよ

この詩篇には『地に住み』『地を受け継ぐ』『彼らのゆずりは、永久に続く』『いつまでも地に住め』『いつまでもそこに住む』『地を受け継がせてくださる』という言葉があります。今の地球上をも意味しますし、アブラハムから始まるイスラエルに対する主の約束の地をも意味します。しかし将来的には主の再臨によって実現する新しい天と地を意味します。イスラエルだけではなく、主を信頼する全ての人に相続されるものです。この世界において主を信頼し、落ち着いた生活を続けることは、「地に足ついた生活」と言えます。かつてバビロン捕囚となった人々も、主の言葉に従って落ち着いた生活を続けたことで、やがて帰還することができました。私たちは繰り返される歴史、聖書の教訓、主の知恵に、常に聞き従うべきなのです。

ある山間部の無人の教会堂を見たことがあります。長らく人が使った形跡がありませんでした。私はそれを見て、「会堂はあっても、これは教会ではない。会堂あっての教会ではなく、人あっての教会だ」と思いました。また牧師が派遣されない教会を訪ねたことがあります。信徒の方々が迎えてくださいました。彼らは励まし合い、信仰を守り、オンラインで他の教会とつながって共に礼拝を献げ、主を信頼し落ち着いて地域生活を続けておられました。あなたが住む地域に、たとえクリスチャンがあなた一人だけであっても、主の目には地の塩。世の光。地を癒し、平和をもたらす尊い存在。主の誇り。そんなあなたの忠実さに応えて、新しい天と地を任せてくださいます。

1月30日(日)の礼拝は、ヨハネの福音書6.1-15から、「五千人分のお弁当」と題してメッセージです。


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