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実践への祈り

パウロの手紙の多くは、教理的なことで始まり、実践的なことに移っていきます。エペソ人への手紙も3章までが教理的なこと、4章から実践的なことに触れていきます。学校で学んだことを家に帰って実際にやってみる、みたいな。そしてパウロは、教理的なことから実践的なことへ、祈りで橋渡ししています。3月13日(日)の礼拝は、エペソ人への手紙3.14-21から、「実践への祈り」と題してメッセージです。

神の家族としての祈り 3.14-15

『こういうわけで』は手紙の前半を受けての祈り、ということです。当時、ユダヤ人は立って祈ったそうですが、『私は膝をかがめ』とパウロ。イエス様もゲツセマネでひれ伏して祈られました。とても大切な渾身の祈り。続いて『天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前に』とは、「天と地にあるすべての家族(パトリア)の呼び名の元である御父(パテラ)の前に」です。先に天に召された聖徒と今地上に生きる聖徒すべてが、神の家族だということです。パウロは時代を超え、地域を越え、現代を生きる私たちのためにも、膝を折って、私たちの父なる神様に祈りを献げているのです。

内なる人の成長のために祈る 3.16-17前半

パウロはまず『内なる人』『心のうち』という、私たちの内側が強められるよう祈ります。外側の肉体はいくら鍛えても限界がある。怪我もすれば風邪も引き老いもする。肝心なのは内側。そのために必要なものが3つ。『御父が、その栄光の豊かさ(富)に従って』『御霊により、力をもって』『あなたがたの心のうちにキリストを住まわせ』。三位一体の神様が私たちの内側の成長には欠かせない。私たちはともすると、牧師に話し、祈ってもらい、説教を聞いていれば、守られ、上手くいき、成長すると思っていないか?それも大事かも知れませんが、一番大事なのは三位一体の神様とあなたの交わりなのです。

互いに愛を知るために祈る 3.17後半-19前半

パウロは次に、お互いのつながりと成長のために祈ります。そのために欠かせないのは『愛』です。『愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがた』とあるように、私たちはすでに三位一体の神様の愛で救われ、生み出され、神の家族とされました。『愛』の上に立っている。でもすぐその『愛』がわかるわけではない。三位一体の神様との交わりと私たちお互いの交わりを通して、だんだんわかっていくのです。18-19節前半にあるように、主の愛は無限大です。私1人で知ることも表現することも不可能。だから『すべての聖徒たちとともに』なのです。神の家族が増えるほど、愛の大きさを表現できるようになる。その豊かさがわかるようになるのです。

全体の成熟のために祈る 3.19後半-21

パウロの祈りは、内側の成長からお互いの成長へ、さらに全体の成熟へ進みます。親子は最初「大人と子ども」です。でもやがて「大人と大人」になります。親と子に変わりないのですが、大人同士の関係にもなる。それが成熟というもの。神の家族も同じです。そのための祈りが『神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように』なのです。『教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン』。父なる神様の「栄光の富」は、イエス様の救いに与った教会の成長と成熟に伴って、だんだん目に見える実体となって豊かに現れ、世々限りなく分かち合われ、満ちあふれていくのです。パウロはそれをはるかにのぞみ見て、この祈りを献げたのです。

私は20代の頃から、知りうる限りの方々のために祈ってきました。でもあるとき、それが「守ってください」「支えてください」という現状の回復や維持の祈り、または自分の頭で考え得る「良い将来」程度の祈りだったと気づかされました。ショボイ!現状を越え、祝福があふれ、栄光が満ち満ちる祈りを!祈られる者から祈り合う者へ変えられ、祈りの輪が広がり、どんな状況や状態の中でも祝福を具体的に分かち合っていけるように!祈りは愛の始まり。主との交わりの中であの人この人を思いやる。そこから愛の行動が始まるのです。

3月20日(日)の礼拝は、マルコの福音書8.11-21から、「イエス様のため息」と題してメッセージです。


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