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何よりも愛

ヨハネの手紙第一は、イエス様に関する様々な考えや間違った教えがはびこる中で、イエス様をキリストとして信じることと、その生活について書かれました。4月3日(日)の礼拝はヨハネの手紙第一5.1-5から「何よりも愛」と題してメッセージです。

私たちは神によって生まれたことを信じます 5.1

 イエス様が十字架にかかられてからおよそ60年後。イエス様に関する誤った教えが教会の中にも入っていました。ヨハネは、イエスをキリストと信じる者は神様から生まれた者で、信じない者は神様から出ていないと教えています。なぜなら、人となって来られたイエス様は神様が遣わされたからです。神様を信じるなら、神様が遣わされた者も信じます。

私たちは兄弟を愛します 5.1-3

 神様を信じ、神様が遣わされたイエス様を信じる私たちは、同じように神様から生まれた兄弟姉妹も愛します。この当時、教会には間違った教えを語る人たちがいましたが、どうやらその人たちの間には愛がなかったようです。もっともらしい理屈や論理で争っていたのかもしれません。しかし、愛なる神様を信じている人は、子が親の性質を受け継ぐように、その人も神様から愛を受け継ぎます。本当に愛なる神様を信じているかどうかは、兄弟姉妹を愛しているかに現れます。

私たちの信仰は世に勝ちます 5.4-5

 とは言え、愛することは難しいと感じます。しかしヨハネは兄弟姉妹を愛することは重荷とはならない、私たちを疲れさせるものではないと教えています。それは神様から生まれた者はみな、世に勝つからです。「世」は人と比べたり、損得を考えたりして愛することを難しくさせます。しかし、神様から生まれた者は「世」にない愛を知っています。罪人であった私たちのためにひとり子を遣わす愛、自分の財産を使い果たされても、自分の子どもが帰ってきたら走って迎えに行くような愛、これまで100点満点ではなかった私を憐れみ、見捨てず導き続けてくださっている愛。この愛が私たちを愛するチャレンジへと向かわせてくれるのです。

4月10日(日)の礼拝は、マルコの福音書14.32-42から「十字架の前の祈り」と題してメッセージです。


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