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神様は見捨てておられない

2022年6月19日(日)

今日は父の日です。私たちが今、礼拝している神様が父なる神様であることをイエス様は教えてくださいました。「父」なる神様には、神様がすべてのものの第一の起源であること、また神様は善で、神の子どもたちを愛をもって配慮するお方だと言う意味が込められています。今日の箇所にも神様の子どもたちを愛する神様のお姿が記されています。6月19日(日)の礼拝は出エジプト記2.11―25から「神様は見捨てておられない」と題してメッセージです。

ミディアンに住むことになったモーセ

 22節にはモーセがミディアンの地で寄留者として過ごすようになったことが記されています。なぜモーセはミディアンに住むことになったのでしょうか。

モーセが大人になったとき、一人のエジプト人がへブル人を打っているのを目撃します。モーセは正義感をもってへブル人を助けるためエジプト人を殺してしまいました。次の日、今度は二人のへブル人が争っていました。仲裁に入りますが「だれがお前をさばき人として任命したのか。あのエジプト人を殺したように、私も殺すのか」と言われてしまいます。へブル人を助けようとしたことが、同じへブル人に理解されない。またエジプトからはエジプト人を殺した危険人物としてマークされてしまう。そこでモーセはエジプトの目が届かないミディアンの地へ逃げていくのです。モーセはそこで結婚し家庭を築きます。

へブル人の祈りを聞かれる神様

 何年も経って、へブル人を苦しめたファラオが死にました。しかし次のファラオも相変わらずへブル人を苦しめます。彼らはその辛さと苦しみのあまり泣き叫びますが、この祈りの声が神様に届きます。

神様とはどういうお方でしょうか。それは私たちの祈りを聞き、私たちの状況を見、私たちのことを心に留められる神様です。神様はへブル人を救うため行動を起こされます。このとき神様が選んだのがモーセでした。

 かつてモーセは自分の手で(自分の方法で)へブル人を助けようとしましたが、それは理解されずうまくいきませんでした。神様はそんなモーセを用いて、ご自分の手で(神様の方法で)へブル人を救おうとされます。神様に従う、神様に聞くということは、自分のやり方を通さないということでもあります。自分で頑張ってどうにかしようとするよりも、神様の言葉に聞く者でありましょう。

6月25日(日)の礼拝は、出エジプト記3.1-12から「神様はあなたとともにいる」と題してメッセージです。


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