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自分のことだけでなく、ほかの人のことも

2022年7月3日(日)

「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい」という御言葉には、福音を信じ、福音に生かされる私たちには、これまでとは違った生活が求められているという意味があります。その生活とは…?

7月3日(日)の礼拝はピリピ人への手紙2.1-11から「自分のことだけでなく、ほかの人のことも」と題してメッセージです。

まず自分のことを考えるフツーの私たち

 もし私たちがキリストにある励まし、愛の慰め、御霊の交わりをいただいているのなら、同じ思いで心を合わせて…とパウロは語ります。誰と?あなたがた、つまり教会です。教会とは言え、もとは私たちフツーの人の集まり。フツーの人である私たちが考えるのはまず自分のことです。「それぞれ自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい」とありますが、「ほかの人」を顧みず、自分のことは、自分がどう思うか、自分がどう感じているか、自分がどうしたいのかに心配っているのが現実です。パウロは言います。「互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」そしてこの思いこそキリストがもっておられた思いです。

ご自分を捨てられたイエス様

 6-11節の御言葉は当時歌われていた讃美歌の歌詞だと言われています。そこでは奇跡を行う雄々しく強いイエス様ではなく、神であられるのにそれを捨てられないとは考えず、しもべとなり十字架の死にまで従われたイエス様の姿が歌われています。もしイエス様が自分を第一にし、自分の思いを優先していたら、きっと死なれることはありませんでした。信じられないことかもしれませんが、イエス様は私たち一人ひとりを愛しすぐれた者と思ってくださってご自分の方を捨ててくださいました。私たちもこのキリストの思いを思いとしたいのです。

自分を捨てられない私たちのためにご自分を捨てたイエス様

 自分を捨てられない私たちのためにイエス様はご自分を捨ててまで私たちを救い、ほかの人のことを考えて生きる信仰の道へと導いてくださいました。もしほかの人のことで悩みがあるとしたら、それはすでに信仰の道を歩んでいる証拠。教会では、できている自分を見せるのではなく、弱いお互いを励まし合いたいと思います。自分のことばかり…と気付きが与えられたなら、そこがスタートです。

7月10日(日)の礼拝は、ピリピ人への手紙2.12-18から「世の光として輝くため」と題してメッセージです。


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