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キリストに賭けた人

2022年7月24日(日)

ピリピ人への手紙にしか名前が記されていないエパフロディトですが、ピリピからパウロのもとへ贈り物を届けた人として描かれています。そして届けただけではなくしばらくパウロのもとにいてお手伝いをしたり身の回りのお世話をする予定でした。今日はこのエパフロディトに注目します。7月24日(日)の礼拝はピリピ人への手紙2.25-30から「キリストに賭けた人」と題してメッセージです。

病気になったエパフロディト

 ピリピ教会から祈られ託されて送られたエパフロディトでしたが、パウロのもとで病気になってしまいます。しかも死ぬほどの重い病気です。

祈られて任されてパウロのお手伝いをするはずが、かえってお世話されることになり、たくさんの人に心配と迷惑をかけ、祈られているのにその期待にこたえることができなかった。エパフロディトは、自分が病気になったことよりも、ピリピ教会にそのことが伝わったことをとても気にしました。

パウロの見たエパフロディト

 しかしパウロはそんなエパフロディトのことを「私の兄弟、同労者、戦友」と呼びます。パウロが3つ並べて呼んでいるのはエパフロディトだけで、共に働いた人、一緒に戦った人と呼んだのです。そして「彼はキリストの働きのために死ぬばかりになった」とも。手紙でエパフロディトについて書かれているのは病気になったことです。しかし結果として起きたことではなく、キリストのために動いたことを、キリストのために働いたとパウロは評価したのです。

キリストに賭ける

 神様はエパフロディトを病、そして死という悲しみに悲しみを重ねることはなさらず癒してくださったので、パウロは彼をピリピ教会に送ると言います。そのときには喜びをもって迎え入れるように、尊敬するように、なぜならいのちの危険を冒してまでも仕えたからだと言います。エパフロディトはいのちを賭けました。キリストに賭けたのです。

イエス様を仰ぎ、従う中で、思うような結果にならなかったとしても、主は結果ではなく取り組んだそのことを見ていてくださいます。信仰を働かせ、愛することを選び、希望を持ち続ける歩みを積み重ねてまいりたいと思います。

7月31日(日)の礼拝は、ピリピ人への手紙3.1-11から「キリストには代えられません」と題してメッセージです。


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