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神様はこう働かれる

2022年8月14日(日)

神様がいるのなら、この日本の、この世界の、この私の問題に直接分かりやすく助けてほしいと思うかもしれませんが、聖書が記す神様の姿とは、神様が直接前面に出て何かをするということではなく、人を通して働かれるという姿です。8月14日(日)の礼拝は出エジプト記4.1-17から「神様はこう働かれる」と題してメッセージです。

しるしで励ます神様

 イスラエルの人たちが自分を信じてくれるのか恐れるモーセに対して、神様は、杖が蛇になる、手がツァラアトに冒される、ナイル川の水が血に変わるという3つのしるしをモーセに示されます。それはイスラエルの人たちがこれらのしるしによってモーセを信じるためであり、モーセ自身も確信をもったことでしょう。神様はモーセの不安を小さく思わず、しるしを与えることでモーセを励まします。

口を通して励ます神様

 次にモーセは「私はことばの人ではない、口が重く、舌が重い」と言いますが、神様の答えは「人に口をつけたのはだれか。わたしがあなたの口とともにある。」でした。私たちの口、目、耳とともに神様は働かれるというのです。私たちがクリスチャンとして、忠実に、真実に、誠実に生きようとするときに神様が私たちの口とともにあって言うべきことを言えるように助けてくださるのです。私個人、何度もこの御言葉に励まされてきました。私の語る言葉は特別なことでも大したことでもありませんが、神様がこの口を通して働いてくださるのならば、神様のことばがそこで語られると信じているからです。

備えで励ます様

 モーセはここに至っても「どうか他の人を遣わしてください」と懇願します。神様はそんなモーセに向かって怒りを発せられますが、それは見捨てることを意味しません。むしろ、アロンがいると、助け手を備えられるのです。神様はモーセの恐れにどこまでも寄り添い、答え、励ましておられます。出エジプト記はこのような神様と私たち人とのやり取りが細かく書き残されています。それは私たちの弱さに寄り添う神様の姿を示し、私たちが信頼して従うためなのです。主が私たちの口を通して今週も働かれることを受け止めて歩めますように。

8月21日(日)の礼拝は、出エジプト4.18-31から「わが子を救う神」と題してメッセージです。


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