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私に倣う者となってください

2022年9月11日(日)

「兄弟たち。私に倣う者となってください。」とパウロはピリピ教会へと語りました。ピリピ教会にはパウロというお手本が与えられていましたが、パウロに倣うとは何を意味するのでしょうか。9月11日(日)の礼拝はピリピ人への手紙3.17-4.1から「私に倣う者となってください」と題してメッセージです。

国籍が天にある私たちと地上のことだけを考える者たち

 「私たちの国籍は天にあります。」この有名な御言葉は、私たちがやがていつか天に向かうというだけでなく、今、すでに天に国籍を持っていることを意味しています。しかし前節には「地上のことだけを考える者たち」が対比として出てきます。彼らはキリストの十字架の敵として歩んでいるとも言われています。キリストの十字架を認めない、それは欲望を神とする生き方で最後は滅びであると教えます。パウロはこの2種類のタイプを上げて「私に倣いなさい」と語ったのでした。

私に倣う者となってください

 パウロは決して自分が完全で完璧だから倣う者となるようにと言ったのではありません。パウロが倣ってほしいこと、それは自分にとって得であったものをキリストのゆえに損と思うようになったこと、イエス様に出会った、これよりも勝るものはないと考えていることです。さらにこれほどキリストと口にしながらも、すでに得たわけでも完全にされているのでもなく、ただ捕らえようと追求して前のものに向かって身を伸ばしていることです。完全でも完璧でもない、けれどキリストに捕えられキリストを捕らえようとしているその生き方に倣ってほしいと語ったのです。もし私たちが日々少しでもキリストを捕らえようとしているのなら、それがパウロに倣うことなのです。

「私に倣う者となってください」

 パウロだけではなく私たちはたくさんの教会の先輩方に祈られ、助けられ、たくさん忍耐していただき、先輩方を倣うことによって成長してきました。そしてこれからも倣っていきたいと思うと同時に、自分が倣うだけではなくて、私自身も「私に倣ってください」と言える者であったら幸いだと思います。完璧な姿ではなく不完全ながらもイエス様を捕らえ続ける歩みを私も、教会も示すことができますように。

9月18日(日)の礼拝はイザヤ書46.3-4から「神に背負われて」と題してメッセージです。


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