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神様の特別扱い

2022年10月23日(日)

私が神様を信じたときに驚いたことの一つは、神様が「私に」目をとめ、「私を」選んでくださっているということでした。それまではいくらお参りをしても私を愛していると言ってくれるものはありませんでした。聖書に描かれている神様は、私たちに近づき、私たちと関係を持ち、私たちを特別に扱われる神様です。10月23日(日)の礼拝は出エジプト記8.16-9.12から「神様の特別扱い」と題してメッセージです。

 今日のところには第三から第六の4つの災いが記されています。

第三の災いは、地のちりがブヨとなって人や家畜につくというものです。これまで同じようなことをしてきたエジプトの呪法師たちは同じことをすることができず、「これは神の指です」と神を認めざるをえませんでした。

第四の災いはアブの群れで満ちるというものです。このとき主は、「わたしの民がとどまっているゴシェンの地を特別に扱い、そこにはアブの群れがいない」ようにしました。ファラオが「わたしがその地のただ中にあって主であることを知る」ためです。この災いから神様は、わたしの民イスラエルと、あなたの民エジプト人を区別し、エジプトの上にのみ災いが降りかかるようにされます。

第五の災いは疫病です。疫病はエジプトの家畜に臨み、イスラエルの人たちの家畜は一頭も死ぬことがありませんでした。

第六の災いは、モーセとアロンがかまどのすすを両手いっぱいに取って、それを天に向けてまき散らすとほこりとなって人と家畜につき、うみの出る腫れものとなるという災いです。これもはっきりとは書かれていませんが、エジプト人だけが腫れたのだと想像できます。呪法師たちは取り除くどころか、自分たちも腫れものに悩まされ、モーセの前に立つこともできませんでした。

主はこれらの災いを通して、エジプトのどの場所にでもその力が及ぶこと、その力は呪法師たちも全然敵わないこと、またこれらの災いは主ではなくファラオの頑なさにあり、本当に私たちの主となるべきお方は誰かを示しています。

また、主はご自分の民を特別に扱われます。それはイスラエルだけではなく、ファラオも、エジプトの民も主を知り、主の民となるためなのです。主は私たちも特別に扱っておられます。私たちが主を知り、主の民となるため、そして主を知り、主の民となる方々が起こされるためです。主の特別なお取り扱いとその目的に気づき、目が開かれて、主を証しすることができますように。

10月30日(日)の礼拝は、出エジプト記9.13-35から「主を恐れる」と題してメッセージです。


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