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行いなさい

2022年11月6日(日)

5月から読んできましたピリピ人への手紙もあと2回となりました。「最後に」(8)から始まる今日の箇所には、手紙を終える前にパウロがピリピの教会の人たちに言っておきたかったことが記されています。11月6日(日)の礼拝はピリピ人への手紙4.8-9から「行いなさい」と題してメッセージです。

ふつうのこと…?

 この手紙の中には「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています」という輝くような信仰告白があり、また教会の中の2人の不一致の問題が取り扱われていましたが、この「最後に」の部分で述べられている事柄は、一見するとあまりにもふつうのことを言っているような印象を受けます。しかしふつうのことでも「聞いている」「知っている」ことと、「そのように生きている」ことは別です。パウロは最後にピリピの教会が、またクリスチャンが心に留めるべきことをここに羅列しています。

心に留めなさい

 ここでパウロは8つのことを心に留めるように教えています。この「心に留める」という言葉は、それで心をいっぱいにしなさいという強い意味があります。ここにあげられている一つ一つは深い特別な意味があるものではなく、一般的に、普遍的に、良いとされているもののことです。良いものを上手に用いることで、主と教会と社会に仕えることができます。

行いなさい

 パウロは「私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい」と教えます。聞くだけではなく、聞いたことを実行しなさいと言うのです。

これはパウロほどの人だからできたのでしょうか。使徒の働き16章にはピリピの教会ができたときのことが記されていますが、パウロの状況は決して良いものではありませんでした。しかし自分を苦しめた人に復讐したり、神様を疑ったり、仲間割れしたりするのではなく、パウロはこんなときでも神様に賛美をささげたのです。パウロはそんな自分を見るようにピリピの教会の人を励ましました。パウロ自身もまた十字架の主を見上げていました。パウロの心には、まったく罪人でないにもかかわらず罪人として死なれたイエス様の姿があったのです。私たちの心には何があるでしょうか。聞いた通りに行えているでしょうか。

11月13日(日)の礼拝は、コリント人への手紙第一3.6から「成長させるのは神様」と題してメッセージです。


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