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神様の導き

2023年3月19日(日)

イスラエルの民をエジプトから導き出された神様は、カナンの地へと彼らを導きます。今日の箇所には2回「導く」という言葉がありますが、神様はどのようにイスラエルの民を導かれたのでしょうか。3月19日(日)の礼拝は出エジプト記13.17-22から「神様の導き」と題してメッセージです。

近道ではない道

 エジプトからカナンへの最短ルートは地中海沿いの道ですが、神様はイスラエルの民をそこには導かれませんでした。なぜならそこにはペリシテ人が住んでおり、長い間奴隷生活を送っていたイスラエルの民が、ペリシテ人相手に戦うことはできないどころか、エジプトに帰ると言い出しかねないからです。

私たちはともすると「はやさ」を求めます。早く問題が解決してほしいし、早く次の道が開かれることを願います。しかし神様は私たちをスピード重視で導いてはおられません。遠回りのように思えても、私たちの弱さを知りつくされた神様がふさわしい道へと導き、神の民として整えてくださるのです。

神様の言葉が成る道

 このときイスラエルの人たちはヨセフの遺骸を携えて行きますが、ヨセフは400年以上前の人です。しかしイスラエルの人たちは、400年以上もヨセフの言葉とヨセフの遺骸を忘れずにこのとき携えて行きました。そしてヨセフ自身も、エジプトにいながら、いつか主が必ずこのエジプトからカナンに導き上ってくださると信じていました。長い間時間がかかるようでも、神様の言葉が空しく地に落ちることはありません。神様は私たちが思うよりも長い目線で、物事を持ち運んでおられます。

神様がともにおられる道

こうしてイスラエルの民が導かれたところは荒野の道でした。敵もいないが、何もない、人が住めるところではないのが荒野です。カナンへの道を知らないイスラエルの人たちの前を、主は昼は雲の柱、夜は火の柱を置いて進む道を示し、暗い夜も危険から守りました。そして神様が確かにともにおられることを教えたのです。

神様の導きは、最短ではないかもしれませんが、神様が先立たれています。思う通りでなくてもそこから学び、忍耐し、主のあとを歩めますように。

3月26日(日)の礼拝は、出エジプト記14.1-31から「主が戦われる」と題してメッセージです。


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