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奥義を伝えます

2023年4月16日(日)

先週は、十字架にかかられ死なれたイエス様がよみがえられたことを祝うイースターでした。当時、他にも十字架刑に処せられた人たちが多くいた中で、神様が唯一よみがえらせたイエス様の十字架と復活には、私たちの罪をゆるし、神様との和解を与え、また私たちも同じ復活にあずかる希望を指し示しています。教会は2000年間そのことを信じ、伝えてきました。その中の一人がパウロです。4月16日の礼拝は、そのパウロがコロサイの人たちに宛てたコロサイ人への手紙1.24-29から「奥義をつたえます」と題してメッセージです。

苦しみを喜ぶパウロ

 ふつう、苦しみとは避けたいもので、苦しみから逃れたくて助けを求めることは往々にしてありますが、パウロはコロサイの人たちのために受ける苦しみを喜びとしていると伝えました。会ったことも見たこともないコロサイの人たちのために、なぜ苦しむことを喜べるのでしょうか。それは、コロサイの教会が、十字架上で死なれたキリストのからだであるからであり、苦しみが受難のイエス様のように神の民とされたことを示すからです。

奥義を伝えるパウロ

 パウロが苦しんでいるのは、それが神様から委ねられた務めであり、その務めとは世々の昔から隠され、今は明らかにされた奥義であるキリストを伝えることです。

 旧約聖書を読むと、「奥義」について預言や幻が多く記されており、またどんなに待ち望んでいたかが残されています。かつての人々がどんな思いで待ち望み続けたのだろうと思いを馳せるとともに、私たちにはすでにイエス様が知らされていることの幸いをおぼえます。

諭し、教えるパウロ

パウロがキリストを宣べ伝えているのは、すべての人をキリストにあって成熟したものとして立たせるためです。パウロはここで3回も「すべての人」という言葉を使って、みながキリストにあって成熟するよう奮闘していると言いました。またそのために、すべての人を諭し、教えているとも。

成熟させてくださるキリストをなお教えていただき、また諭し教え合える教会が建て上げられますように。私たちのうちにおられるキリストによって。

4月23日(日)の礼拝は、コロサイ人への手紙2.1-5から「知恵と知識はキリストのうちに」と題してメッセージです。


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