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この方こそ、私の神

2023年5月7日(日)

出エジプト記15章には、モーセの歌が記されてあります。これは、イスラエルの民がエジプトから導き出され、さらに追いかけて来たエジプト軍が葦の海の中に投げ込まれた出来事を背景に歌われたものです。ここでイスラエルの人たちはどんなことを歌にしているのでしょうか。5月7日の礼拝は、出エジプト記15.1―21から「この方こそ、私の神」と題してメッセージです。

賛美の中心は主である

 エジプト軍の馬や乗り手が海の中に投げ込まれ、選り抜きの補佐官たちが葦の海に沈んだというこの一連の出来事は神様がなさったこととして歌われています。ここにはイスラエルの民である自分たちがどうだとか、指導者モーセがどうだとかいう言葉は出てきません。賛美の中心にあるのは主なる神様です。イスラエルの人たちは、主がいくさびととして戦ってくださったのだというふうにこの出来事を見ているのです。ですから、「主は私の力、またほめ歌。この方こそ、私の神」と歌うのです。

ほかに主のような方はいない

神様はエジプトに対して自然界をも自在に操られました。この神様の力は、ファラオやエジプト軍といった人間だけではなく、エジプトの神々にもまさるものであることを表しています。「主よ、神々のうちに、だれかあなたのような方がいるでしょうか。」いや、主なる神様のような方は他にいないのです。

神様との出会いは、他にこのような神様がいないことを確信させます。そしてその出会いは私たちの信仰を励まします。

応答としての賛美

イスラエルの人たちはこの過去の出来事が自分たちの将来をも導くことを確信していました。このように救い出してくださった主は、これからイスラエルの人たちが進むところ、住むところにおいても勝利を与えると確信したのです。イスラエルの人たちは自分たちの無力さや、相手を見たのではなく、神様がこの世界を、自分たちを治めておられることを知りました。だから、「主は私の力、またほめ歌。この方こそ私の神。」と答えたのです。

なお苦しみや悲しみがあるこの世界にも神様の御手が置かれ、確かに主は導いておられることを信じて、私たちも主に賛美をおささげします。

5月14日(日)の礼拝は、出エジプト記15.22-27から「あなたを癒やす神」と題してメッセージです。


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