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パンと安息

2023年5月21日(日)

出エジプト記16章も前回と同じく荒野で不平を言うイスラエルの姿が描かれています。前回は荒野で水がなく、やっと見つけたと思っても苦い水だったことの不平でしたが、ここシンの荒野では「われわれを飢え死にさせるのか」と訴えています。5月21日の礼拝は、出エジプト記16.1―36から「パンと安息」と題してメッセージです。

不平をこぼすイスラエルの人たち

 エジプトから導き出され、約束の地カナンに向かうイスラエルの人たちですが、それはイスラエルの人たちの計画や決心ではなく、神様の導きによるものです。したがってイスラエルの人たちはどこをどれくらい行くことになるのか知らなかったのでしょう。まして旅にも慣れていない人たちです。「いつもと違う」、「思い通りではない」ことに次第に不安や不平が募ってきました。「奴隷」から荒野を旅することになったのに、イスラエルの人たちの心は奴隷のまま、何かあるとすぐにファラオのせい、モーセのせいにしてしまいます。

天からのパン

そんな民にむかって神様が言われたことは、神様がイスラエルの人たちのために天からパンを降らせるというものでした。「これは何だろう」という言葉からこれはマナと呼ばれます。イスラエルの人たちは毎朝これを集めるのですが、たくさん集めても余ることがなく、少しだけ集めた人にも足りないことはありませんでした。神様は一人ひとりに十分な必要を備えてくださいます。

安息をおぼえる

マナはふつう次の日には持ち越すことができませんでしたが、6日目だけいつもの2倍、つまり2日分集めるように言われました。7日目は主の聖なる安息なので、神の民であるイスラエルの人たちも7日目は休むのです。

しかしイスラエルの人たちは集めたものを次の日に残したり、7日目にも集めに出かけたりしました。神様が養ってくださり、安息を与えてくださるということを信じきれなかったのです。イスラエルの人たちは今までそのような主人に会ったことがなかったので、愛されることを知らなかったのです。主は、そんなイスラエルの人たちの不平を聞き、神様の愛の中で生きること、信頼することを教えています。私たちもこの愛の中で、主をどこまでも信頼することを学びます。

5月28日(日)の礼拝は、使徒の働き2.1-13から「聖霊に導かれた人々」と題してメッセージです。


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