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闇に打ち勝つ力

買い物に行くとクリスマスソングが流れています。イルミネーションが瞬いています。体温まる食材がたくさん並んでいます。テレビやネットでは心温まるエピソードが紹介されています。しかし一方で、悲しい事件や事故が毎日のように起こり、近隣諸国との緊張関係が報道されています。世の中は、喜び・命・光を何とか感じたいと思いつつも、悲しみ・死・闇が覆っているように思えます。クリスマスの本当の喜びはどこにあるのか?ということで、12月18日(日)待降節第四週礼拝は、マタイによる福音書第2章1節〜15節、ヨハネによる福音書第1章4節〜5節から、「闇に打ち勝つ光」と題してメッセージでした。

恐れるヘロデ王とその民

「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、その方を拝みにきました」。東から来た博士たちの言葉にヘロデは不安を感じました。ヘロデだけではありません。キリストの誕生と誕生の地を知っていたユダヤ教の祭司長や律法学者も、その民もみんな不安に襲われました。それはヘロデの大きな恐れが覆っていたからです。ヘロデ王は非常に有能な人でした。軍人としても、政治家としても、建築家としても。しかしその能力は民をよりよく治めるためよりも、自分の保身のために用いました。民の多くの命を奪い、友人の命を奪い、妻の命を奪い、息子の命を奪いました。自分の葬式の時に死刑にするべき人間を遺言で指名し、自分の死と共になお命を奪いました。ヘロデには地位や名誉や財産も、優れた才能も絶大な権力もありました。しかしそれらのものは全て自己中心のためにありました。ヘロデの自己中心は多くの命を奪い、恐れをまき散らし、死と闇を広げていたのです。

喜ぶ博士たちとマリヤとヨセフ

「彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた」。東から来た博士たちは、恐れるヘロデをものともせず、星を頼りにひたすらキリストを目指しました。そして小さく貧しい村ベツレヘムの民家(キリスト誕生からしばらく経っていました)にたどり着き、中に入ってささげものをし、キリストを礼拝しました。そこには大きな喜びがありました。普通、博士たちのような人は小さな村の民家の赤ちゃんを礼拝したりしません。マリヤやヨセフたちユダヤ人も人間を礼拝することをゆるしません。しかし博士たちもマリヤやヨセフもイエスを神の子キリスト、喜びと命を与える本物の王だと認めていたのです。博士たちにも地位や名誉や財産が、優れた才能や絶大な権力がありました。しかしそれらのものをキリストに会うために、キリストを礼拝するために用いました。貧しいマリヤとヨセフもキリストを中心に置きました。富んでいようが貧しかろうが、場所がどこであろうが、自己中心ではなくキリスト中心。そこにどんな恐れも死も闇も打ち消すことのできない、喜びと命と光がありました。キリストこそ死と闇に打ち勝つ命の光なのです。

いくら心温まる歌が流れ、優しくイルミネーションが瞬き、たくさんのプレゼントに囲まれていても、自分中心でいる限り、喜びよりも恐れが、命よりも死が、光よりも闇が私たちを脅かし続けます。キリストに心を向け、キリストを礼拝し、キリストを私の中心に迎えるなら、どんな中にあっても、恐れよりも喜びが、死よりも命が、闇よりも光が私を満たし続けるのです。外側からではなく内側から。キリストを私の王、救い主として迎え入れることから。クリスマスの本当の喜びを味わってください。

12月25日(日)はクリスマス礼拝。ルカによる福音書第2章1節〜7節から、「家畜小屋に輝くいのち」と題してメッセージです。


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