カテゴリー

若いときにすべきこと

成人式があるこの時期、礼拝の中で若い方々の祝福を祈る教会も多いかと思います。少子高齢化が進む日本において、次代を担う若い方々への期待は大きいでしょう。教会も同じです。ということで、1月8日(日)の礼拝は、マタイによる福音書第19章16節〜22節のイエス様に会いに来た青年の話から、若いときにすべきこと、そしていついかなる時にも大切であることを、メッセージしました。

何をすべきか?

イエス様のところに「ひとりの人」が来ました。彼は青年でたくさんの資産を持っていました。そしてイエス様に「永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」と尋ねました。イエス様は「(よいかた=父なる神様の)いましめを守りなさい」と言われ、十戒の後半五つの戒めを示されます。すると青年は「それはみな守ってきました」と言ってのけます。今風に言えば青年実業家、勝ち組、超エリート。そして倫理的にも実際の生活においても崇高な人でした。これ以上何を求めるのか?と思えます。しかし彼には物足りなさがありました。手にできていないと思えるものがありました。それが「永遠の生命」でした。そしてそれは「よいことをしたら」得られると思っていました。

キリストに従うことだ

イエス様は言われます。「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。イエス様は意地悪?青年にできそうにないこと、青年がスッカラカンになることを求めているのか?青年の財産を永遠の生命と引き替えに要求しているのか?いえいえ。父なる神様も御子イエス様もそんな小さなお方ではありません。「あなたが完全になりたいと思うなら」とは「あなたが十分に成長したいと思うなら」と訳せる言葉です。先ほどの「(よいかた=父なる神様の)いましめ」を一言で言うなら「他人のものを奪うな」ということです。そしてイエス様が「施しなさい」と言われたのは「与えなさい」ということです。イエス様は青年が「奪わない者」以上の「与える者」としての成長を願って言われたのです。

そうすれば全てはある

青年は悲しみながらイエス様の元を去りました。永遠の生命を得るためにはどんなことでもする!と意気込んできましたが、イエス様に従えませんでした。もし青年が自分の財産を貧しい人々に施したらどんな事が起こるか?今風に言えば実業家が貧困対策のため、医療や教育や福祉に今ある財産を寄付するようなものです。貧しい人や社会に多大な利益や影響を与えます。そして実業家にも大きな利益や豊かな関係をもたらすのではないでしょうか?神様もイエス様も決して無茶やできないことを言われません。イエス様が「施しなさい」と言われたのは一時的なことです。また稼げたし、稼いだものを運用することもできました。そして「わたしに従ってきなさい」とは、「従い続けなさい」という言葉です。一時的なことも含めて、永遠に及ぶ先の先まで見越してものが言えるのはイエス様だけ。永遠の生命は「どんなよいこと」をしても得られるものではありません。イエス様に従うところに永遠の生命がある。最善の行いがある。成長がある。そして最善の行いは永遠の生命を得るためではなく、永遠の生命に加えて天に宝を持つためのもの。できない!と肩肘張るのではなく力を抜いて従う。神様もイエス様もどこまでも与えたいお方。与えるお方に従うとき、与えるほどの者となるのです。

私たちは「今」が一番若いときです。常に、今、イエス様に従う。それが若いときにすべきこと。そうすれば常に、今、永遠の生命がある。そして全てがあるのです。

1月15日(日)はホーア師・八重師追悼礼拝。ヘブル人への手紙第13章7節〜8節から、「信仰を継承する」と題してメッセージです。


Copyright © 2010  天授ヶ岡教会 All rights reserved